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お四国歩けばー37終

6月18日 水曜日

 起床 6時
 出発 6時35分 曇り 24度c

 最低限1個は持ち歩いているパンは昨夜食べってしまったので、直ぐ近くのコンビニでパンを買って朝飯にする。ゆっくりセルフコーヒーを飲む。


1番霊山寺には9時前に着いた。




 母に一緒に高野山にお詣りしようと誘った。
 「高野山にお参りすると、お四国から西の遠い旅に出なければならない。そうなると。あんたが来てくれてももう会えなくなる。あんたが まだ 会いたっがっている間は お大師さんに従ってお四国を回りながら、あんたが来るのを待っている」。
 成仏が叶う西方浄土への旅を断ってでも私を待ってくれると謂う母 心だった。

 昨夜、母との長い話し合いの結果。母を1番札所霊山寺に残して帰ることになった。
 高野山へは、もう少し気持ちが落ち着いてからお詣りすることにした。


 霊山寺の山門から伸びる門前町を坂東駅に歩く。真っ直ぐな道である。きっと、母は昔、実家に帰った時に門の前に立って私が街角を曲がるまで見送ってくれたのと同じ様に山門の前に立って見送ってくれているのだろう、と思ったが振り返ることは出来なかった。 


 母と会えた讃岐の道は私にとって忘れがたい想い出になった。

  

 


 
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お四国歩けばー36

6月17日 火曜日

 起床 2時30分
 出発 4時05分 20℃。 肌寒い

 今日は88番目の大窪寺まで約10㎞と大窪寺から1番霊山寺へ向かう。
 霊山寺から10番切幡寺まで18㎞、更に5番近くの善根宿まで11㎞。合計39㎞歩く予定だから早く出る。


 へんろ交流サロンから少し長尾方向に引き返した所から旧遍路道が有るが、まだ真暗なので安全を重視して県道を歩く。
 途中の多和小学校は廃校になってどぶろく特区や地区の物産センターに成っていた。


88番 大窪寺

 7時10分 9.9㎞

 小さな切通しの有る小さな峠の先に大窪寺が見えた。




 1400㎞歩いて初めて潜れる結願の山門だ。




 その先にはお大師さんが「よう頑張ったねー」と声を掛けてくださる。




 88寺を回った多くの遍路が奉納した杖で塚が築かれている。




 奉納された杖の多くは長さが揃っているのは、ほとんどが自動車やバスで回った人達の奉納した杖だろう。歩きへんろが使って短くなった杖は少ない。一月余りの間、一歩一歩を頼って歩いた杖はへんろ旅が終わっても一生の宝として持ちたいものだ。
 私の杖を奉納された長さの揃った、ちびていない杖と比べて見た。私の杖は10.5㎝短くなっていた。




 本堂と大師堂にお詣りして、母に会えた感謝と足を痛めていた母も88番結願の大窪寺までお詣り出来たことを感謝した。




 結願の記念写真を母とツーショットで撮りたかった。
 




 標高445mの大窪寺から国道377でガンガン下る。
 大窪寺から5㎞ほどで左に與田寺から大阪峠への道を分ける。前回は大坂峠を通ったが四国の道の休憩所は有るがトイレも水も無かったし登りがきつい道だったので今回は避ける。
 右の県道2号を歩く。車も少なく歩道も比較的備わっている。途中には屋根付きのバス停も有るので休憩しやすい。
 切幡寺の下まで17㎞、約5時間。ここで13時過ぎだ。予定の善根宿までは未だ13㎞も有る。
 1番から10番方向にへんろする時は番所ごとに幹線道路から外れるが、今回は最短距離を求めて県道12を歩く。

 今回の遍路の第一夜目にお世話になった善根宿に 17時15分 に到着。今日は40.2㎞歩いた。
 10番切幡寺までは日開谷川沿いの下り道なので比較的楽な道だった。

 明日は1番霊山寺まで7㎞ほどだ。





お四国歩けばー35

6月16日 月曜日
     起床;4時
     出発;6時30分 曇り 気温15℃

 屋島の山頂の駐車場は見晴らしは抜群だが風当たりもまた強烈である。夜中にツエルトが幾度も風に叩かれて眠りが浅くなる。結構肌寒かった。




84番 屋島寺
 
 源平の戦場としては有名だし屋島と言う名にもなっている島の形状からも有名な名所にも関わらず、屋島寺はなんだか裏寂しく感じてしまう。お堂は立派だし大師堂や歴史資料館も良いが全体に工事現場か映画のロケセットの様な安々しい哀れさを感じた。





85番 八栗寺

 八栗寺は屋島の東に隣接する山にある。屋島から見ると幾つかの峰が寄り集まった複雑な形をしている。5本の剣に見立てて五剣山という。谷に削られた細い峰の頂の一つに寺が在ると登るのに苦労するのではと気をもんだ。そのように思った一つの理由は八栗寺への専用ケーブルが在ることだ。




 覚悟を決めて、急坂で上から下ってきた女性に「急坂ですね」と声を掛けたことから話が弾んだ。その女性は登り口でよもぎ餅を商っていて、野宿遍路にはよもぎ餅をお接待するというので店まで着いて行く。冷凍したよもぎ餅を2パックも頂いた。




 急坂を一頑張りすると勾配が緩んで一息つけるが直ぐに次の登りが待っている。やっと山門に辿り着くと、山門の前に鳥居が・・・。




 本堂と神社が軒を接して並んでいる。

 


 丁度、菩提樹の満開だ。菩提樹といわれる花は他にも有って山茶花か茶の花の様な物を見たことがあるが、ここの菩提樹の方が有りがたみがある。チョット、金木犀に似た極小さな花だが強い香りは無い。






 志度の街を抜ける旧道は歴史を感じる落ち着いた道だ。その中ほどに 日本のレオナルド・ダ・ヴィンチといわれる 平賀源内の旧宅や墓所がある。資料館も有ったが休館だった。






86番 志度寺

 平賀源内の旧宅のある街並みの先に志度寺は在った。境内は広く緑が深い。




87番長尾寺

 山門に鐘が釣られているのを見るのは初めてだ。




 本堂の破風の下に扉が有って、東大寺の大仏殿の様に、窓のように開くことができる。




 長尾寺から5.5㎞ほど歩くと道の駅ながおが在る。小さな道の駅で店舗は16時閉めてしまう。またレストランに16時過ぎに行ったが時間が過ぎているということで食事はできなかった。
 志度の町を出てJR高徳線を越えた所のスパーが道に駅までに食料が入手できる只一の所だ
 道の駅の前のへんろ交流サロンも16時までだ。 遍路交流大使の任命状をもらった。






 今夜は交流サロンの東屋にツエルトを張った。東屋のテーブルや椅子が固定されているので普通のテントでは一人用を立てるのがギリギリだろう。このような場合にはツエルトなら対応が幅広い。テーブルと椅子を固定してテントを張ることが出来ない所が増えてきた。




 今日の行動 へんろ交流サロン 15時35分、24.03㎞

お四国歩けばー34

6月15日
 起床;4時30分 曇り 25℃。 寒いぐらいの爽やかさ。
 

 熱中症になるとは正に今日の様な日のことをいうのだろう。
 梅雨の合間とはいえ爽やかにさえ感じる風ではあるが、やはり日差しは真夏そのもので、熱が身体に篭もるのが実感できた。

 もう一つの熱中症の原因は一宮寺でのお接待だ。
 老若男女ならぬ老々男女、香川県長寿大学のOB 集団だから人生の大ベテラン揃いだ。少し
話してみると無駄に歳をとった人と、何者かを積み上げながらその歳に至った人では話題の一つ、相槌の一つにも惹きつけられる。この元は若かった大集団からの熱烈歓迎の熱波が熱中症に陥った2つ目の原因だった。私も既にこのベテラン人と同じ歳を生きたはずだのに何故か太刀打ち出来なかった。OBの皆さん有難うございました。

 後日談
 今日、志度のスーパーでベンチに座って弁当を食べている時に、「昨日、一宮寺でお接待したメンバーです」と名乗りを受けた。こんな遠い所から一宮寺までも足を運んでお接待をして頂いたとは有難うございました。



83番 一宮寺

 一宮という称号は律令の時代に各国に置かれた神社の第一位に挙げられたものがその国の一宮だ。なら、本来神社に付くべき名前が何故寺院に・・・。明治以前は神仏習合が当り前で寺は守神として神社をお祀りすることも多かったと聞く。
 この一宮寺のすぐ隣は巨大な鳥居が建つ田村神社・讃岐国の一宮である。




 これまた巨大な財布を前にしてご満悦の大黒様。やたらと浄財・・・金・・・財・・金の文字が目立つ神社だった。




 
 今回のお遍路で一番楽しいお参りが出来たのは一宮寺だった。




 屋島寺へのアプローチは池の端から始まるが、10年前の記憶では簡単に登山口に行けたと思っていたのに家屋の間の細い道を辿って随分と手間取った。
 登山口には16時32分着。山上の遊歩道まで850mとある。登山道に入って10m余りでイノシシ防御金網の地点で新登山道を左に分けるが、私は防御金網のゲートを開けて旧登山道に入った。これが中々の急坂だった。階段状のものはほとんど無く、ずるずると滑りやすい山道だ。




 
 屋島寺に着いたのは17時15分だった。山門を潜ると重要文化財に指定された本堂が在る。神社仏閣では改修直後の色彩鮮やかな状態か全く着色されていない白木造りの物を多く見る。滅多に朱色が褪めて行く途中を見ることが無いので、平氏の滅亡と重なって一種のもの悲しさを感じる。








 たった15分で屋島寺の納経所の時間に間に合わなかった。以前なら必死に走ってでも15分ぐらいは埋め合わせが付く時間ではあるが、高松の街では今流行りの街コンに集まった若者を見物したり、街角で昼寝をしたりして、強いていえば自ずからサポタージュをした、というのが正しい。

 結願の道  讃岐路はそのようにいわれる。
 私の願いは3年前に98歳で亡くした母に会いたい一念だった。
 家ではデスクの側に置いた母の遺骨に毎朝お茶をお供えする時に色々と話しかけるが、母は一向に話してくれないのが悲しくてならない。毎朝振り鳴らす持鈴を遍路道で鳴らしながら歩くと母は気付いてくれないかと、そればかり願って歩いた。お大師さんにも母に会わせてと祈るのが私の願いだった。

 雲辺寺からの下りで、ザックが急に重く感じた時に、足が悪い母が私のザックにすがったと覚心した。それ以来、旅は楽しいものになった。少しでも長く母と歩きったいので歩く距離は今までの半分ほどにした。

 まだ母に聴けずにいることがある。母から預かった延命処置拒否書をあの時医師に提示したのは良かったのだろうか? あの時、出さなければ、今も母は100歳を越えて生きているのではないか。母の命を縮めたのは私ではないか、と何時か聴きたいが、今はまだ怖くて聴けない。

 もう残りは長くて3日。なんとか母を連れて帰りたが、「話が出来るのは遍路道を歩いている時だけだよ、話がしたくなったら何時でもお四国においで」と母が言うのもまた悲しい限りだ。


 
 この夜は屋島の海が見える駐車場の東屋にツエルトを張った。
 今日の行動終了は 17時40分、25.4㎞。





 明日もゆっくりと歩こう。

「ははと往く 遍路道にも 半夏生」

「お大師に 文を出したや 半夏生」

「半夏生 身を飾るのも おもてなし」

お四国歩けばー33

 一昨日、昨日とホテルに泊まったので熱っぽさも、足の引きつりも取れた。丸亀から東へ歩いて郷照寺、高照院にお詣りした。
 高照院は白峰宮の近くというよりは、まるで白峰宮の境内に在るように思える。神仏分離が行われるまでは極自然に一体の信仰対象だったのだろう。白峰宮は立派な神社だが、神社の裏側には八十場の水が豊富に湧いて、冷水で冷やしたトコロテンなどの茶店が有る。しかし、表側の白峰宮には一滴の水も湧かない、と散歩に来た土地の人が話してくれた。

 そのお宮で知り合った人によると、80番国分寺→81番白峰寺→82番根来寺と正順で打つよりは、80番を飛ばして、81番→82番→80番と打つほうが楽だと教えてくれた。
 80番から81番への道は遍路ころがしと言って急坂ということだったので、この情報に従うことにした。

 79番から81番への道は香川県では有名な観光地の五色台へ行く自動車道を上る。目の前に岩の壁が迫ると自動車道は鋭くヘアピンカーブを切って方向を変える。歩き遍路道は岩壁の右側の急斜面をよじ登っている。延々と続く石段がやっと終わったと思うと方向を変えた先には長い石段が続いた。しかし、石段は良い勾配に設計されており、また石段に沿って山家集の歌が彫られた石碑がならんでいるので随分と気を紛らせてくれた。高度差160mの石段を登り切ると白峰寺の山門だった。


81番 白峰寺




 本殿と大師堂はもう一段高い階段の上に在った。




 白峰寺から根来寺までは山道歩きの遍路道で5㎞、自動車道では8.3㎞である。白峰寺の山門を出て左の塀沿いに進むと遍路道に入る。古くからの遍路道でよく踏まれ、良く手入れがされているが、山道そのものである。
 根来寺へは一度登ってから下るので、道は自然と登り傾向の山道が続く。

 白峰寺から根来寺へは、根来寺までの距離を示した石仏が一丁ごとに立っている。根来寺から19丁の所には大きな弘法大師の石像が有ってベンチで一休みできる。




 何故か、19丁目の石仏だけが激しく傷んでいた。本来は次の18町の石仏のような造りだったのだろう。






 一度、440mまで登ってから根来寺へと80mほど下る。


82番 根来寺




 山門を潜ると境内全体が緑色の世界だ。特に、葉の肉厚が薄い楓が多いせいか緑の光が透けて当たりを染めている。




 五台山から下って80番国分寺へ往くつもりだが到底間に合う時間では無いのでゆっくりと白峰寺への車道を2㎞ほど歩いてから道標に従って遍路道に入る。名うての急坂、遍路ころがしだ。丸太を伏せた階段だが完全な山道である。途中休憩所もあるがそのまま下る。
 国分寺の寺近くの道で散歩中の近所の女性と景色を楽しんだり、寝られる場所を聴いたりした。この付近には適当な公園が無いので多くの遍路は国分駅で寝ている、との情報を得られた。そうこう20分も話しただろう。今夜はカレーだから国分駅まで届けてあげるということになった。
 駅でブログを書いていると、カレーを届けて頂いた。




 今夜は国分駅の自転車置場の隅にツエルトを張った。
 先日まではツエルトを立てずに被って寝たが蚊の襲撃を防ぎ切れないので建てる。インナーフレームで有るので居住性が良い。




 ここからは翌朝の記録。
駅近物件は爆走する貨車の轟音に寝が揺らぐことは有ったが爆睡できた。

お四国歩けばー32

6月13日 起床 7時。やはり、ホテルでは良く寝られる。
     出発 9時30分 晴
     梅雨の合間の晴の暑い日になりそうだ。

36番 金倉寺
 
 小さな村の細い道が山門に突き当たる先に荘厳なお堂が在った。山門を潜ると目通3抱えはある巨大なクスノキが作った大きな日陰で休む。
 建築様式は知らないが初めて見る鐘楼だ。






 寺名が金倉だから絵馬も金の大判だ。




 お堂も装飾の少ない端正な造りだ。




77番 道隆寺

 山門、本堂、大師堂、それぞれが立派だが、境内が狭くてんこ盛りのランチのようだ。

 納経所で料金をお支払いした時に「ありがとうございました」と丁寧に挨拶されて一瞬驚いた。それほど、納経所は態度が悪いのが当たり前だ。お釣りを投げてよこす。作務衣を着ずにTシャツで対応する。寺の者同士口喧嘩をしながら嫌々判を押す。





 先日雨に濡れたので少し熱っぽい。暑さが応えるので 丸亀駅前でホテルをとる。もう無理が出来ない歳になった、と実感する。
 清潔で、デスクも広くて良いホテルだ。この作り付けの広いデスクは書斎に取り入れたい。



 
 丸亀駅前 16時30分   12.5㎞

 

 

お四国歩けばー31

6月12日
 起床 2時、 出発 4時35分 曇り 24℃。

 四国遍路で履く靴は一月ほど履き慣らして用意したが、丁度、松山に着く頃が寿命が尽きる頃になる。もう少しは履き続けられますが、松山市のような大きな街の方が選択枝が広いので靴は靴を買い換えた。

 一昨日の三角寺の下り当たりから両足裏に出来たマメが大いに成長して、足を引きずって歩いていたのでふくろはぎが引き攣ってよぼよぼ歩いている。本来なら、愛媛県から香川県を歩く頃は歩行ペースも足裏も固まって楽しく歩ける頃だが・・・・。固まった足裏は固くてツルツルして、如何にも使い込んだという力強さがある。ここまで来ると、本来ならマメも無縁だが靴が変わると当たる所や靴底の硬さも違うから足裏に掛かるストレスも違ってくる。今回は厄介なことに、硬くなった厚い皮膚の内側に水泡が出来た。
 二日間、苦痛に耐えて歩いたが、ついに大手術を決意した。
 消毒薬で縫い針と皮膚を消毒して、皮膚の薄そうな所を刺す。刺しただけでは針を抜くと穴が閉じて十分に排出出来ないし、今後歩きた時に貯まる液も排出出来ない。穴に幾度も刺して針先で穴を切り開くようにして少しでも拡げて、後は消毒して救急絆創膏を貼る。バンドエイドのキズパワーパッドの方が傷口への当たりが優しい。
 大手術の効果で一歩一歩の痛みは大分軽くなったが、庇って歩い袋萩が痛い。


70番 本山寺

 本堂は鎌倉時代に建設された当時の様式を良く保持した簡略明快装飾の無い凜とした建物だ。国宝である。また、このお寺には五重塔がある。四国では五重塔を見ないのを不思議に思っていたが、八十八ヶ所の内では4ヵ寺にしか五重塔は無い。






71番 弥谷寺(いやたにいじ)

 遍路道を歩いて、村落から寺への登り口には足湯がある東屋が有る。近くの道の駅・みの の入湯料は1550円(一昨年)もしたので、温泉に入れなかった想い出がある。

 ここまで18㎞ほどだが、既に7時間も掛かっている。いかに、ペースが上がらないか。
 やっと、たどり着いて、見上げると本堂は108段の鉄階段の上に在った。今までなら階段の下にザックを置いて登るところだが、足が不自由な母が私のザックに負ぶさってお詣りしていると知ったので、一緒にお参りするために一歩一歩登る。母が、あんたが来て、山の上のお寺に連れて行ってくれるのを待って居た、と言ってくれる。母に会いたいが為に歩いてきたお四国、やっと会えた。やっと。

 今年は空海が四国巡礼1200年きねんとあってご本尊のご開帳をしている。岩屋にて沈思黙考する空海像である。


72番 

73番 出釈迦寺

 遍路は山門を潜る時にご本尊とお大師さんに敬意を払ってかぶりものを取るのを礼儀と思ったが、この先達はバスから下りて、徒歩5分でご本尊の前に立って、饅頭笠を被った。自分は長い遍路道を歩いて、今やっと御前に立つことが出来ましたとでも言いたげな振る舞いだ。




75番 善通寺

 空海が生まれたと伝えられる大きなお寺である。




 八十八ヶ所で3番目の五重塔が在る。





 今日は雨に濡れて、このまま野宿では風邪をひきそうな体調なので、丸亀でホテルに泊まる。なんと、3,500円。
 安さに驚いたが値段そう、ベッドのスプリングはヘナヘナ、床もテーブルも、もうよっと掃除を・・・。私の書斎より汚い。


 今日はゆっくり歩いた。30.3㎞  ホテルには16時10分。


 

お四国歩けばー30

 途中で二回の中断が有ったとはいえ、まあ30日目を迎えることができた。

 今日は四国八十八ヶ所の中で最も高い所に有る雲辺寺にお参りする。標高は864m。雨が降らねば良いが。

 昨夜の善根宿は崖の上に付き出したように見える吹き晒のトラック用の車庫の一隅にベッドが置いてある。前夜はしばしば強風が吹いてベッドが揺さぶられた。しかし、久しぶりの畳と布団の感触で熟睡出来た。




 昨日は雲辺寺の登山口近くのバス停を予定していたが、両足に出来たマメが余りに痛くて、辛抱堪らず善根宿のお世話になった。夜が明けても、やはりマメの調子は良くない。しかし、遍路の宿りは一夜限りが原則で。嵐でもないのに連泊はお法度だ。よそ者が居着くのを防ぐ為に出来た古くからの規則だ。この決まりは遍路だけでは無く、乞食や六部と卑しめられた旅の香具師や芸人にも適用された。
 ひょっとしたら、天気予報の様に強雨が降って、出るに出られない、誰しも納得できる嵐が吹くのでは無いかとの希望から爆睡して目覚めたのは4時だった。夜中の烈風から期待した荒天とは裏腹に雲の薄いところは明るかった。これは旅立ちを促す合図だ。ラーメンを作る時間が惜しくてパンをかじって出発する。

 村の中の急傾斜の町道ををこわごわ歩く。寝ている間にマメは目一杯膨らんでいるので、特に歩き始めは激痛千倍だ。
 国道192まで40分。この先は自転車で石鎚から剣山への旅で走った。愛媛と徳島の県堺のトンネルまでの登りが延々と長かった。そしてトンネルを抜けるのに20分を要した。

 トンネルの先に予定していた便所と水道の揃ったバス停は鍵が掛かっていた。近くの食料店も食堂も閉鎖していた。国道沿いでも高速道が出来ると商売の気運は変わるのだ。しかし、マメのお陰で善根宿にお世話になって、結果としては大正解だった。

 雲辺寺へは境目トンネルを抜けた佐野集落から登る。パンを補充したくて佐野小学校の近所の店に狙いを定めて行ってみたが、小学校は閉鎖していた。二宮金次郎がただ一人で運動場に子供達が帰って来るのを待っていた。




 集落の外れに近い古びた店にパンは有った。脱酸素剤を封入した長期保存パンを老婆が二つ取り出した。息子は徳島市に家を建てたので、この店も私限りだと俯き加減に小さな声で言った。

 登り始めると小雨が降り出した。カッパを着て急坂に喘いだ。マムシグサが咲いている。秋の毒毒しさは無く茶花にもないそうな風情である。




 雲辺寺に10時15分着。なんと驚くほど大改装、いや大造営だ。山門以外は全てコンクリート。今年の四国遍路1200年記念に合わせたのだろうか。高い山の頂にようやくにして祠を建ててみ仏を主釣りしたという清廉さは微塵も無くなってしまった。
 ただ一つの木造建築は山門だった。それも新品。




 マメに泣かされながら長い坂を下った。
67番 大興寺

68番神恵寺と69番観音寺。
 名前が同じではないが、場所も同じ、納経所も一箇所で二つの寺の朱印を押す。ちゃんと料金は二軒分。確かに本堂や大師堂は二つずつ並んでいる。観音寺という地名にもなる有名寺だけに歴史の帰結だろうが気になる所だ。

 観音寺市で有名なものに砂で作った巨大な寛永通宝がある。近くで見ると、多少、砂場の砂が凸凹しているなーという感じだ。寛永通宝を一望するために近くの山の中腹に展望所が在るが今の足では行く気はしなかった。
 写真の中ほどの砂の壁の端から端までが通報の大きさ。



 今夜は寛永通報の公園で、巨大な通貨、今ならさしずめ宝くじの大当たりの夢を見ます。

 今日の記録。
 起床 4時。 出発 4時50分。  22℃ 曇り

 寛永通宝の公園  17時30分   34.76㎞


 やはり マメが痛い。明日はどうなることやら。

お四国歩けばー29

 昨日は横峰寺に続いて幾つかのお寺に参って、それから10㎞程を歩いた。昨日の最後のお寺から三角寺迄は45㎞も有るので前日に頑張って残りを35㎞程度にしておきたい。
 勿論、早起きの早立ちである。

 起床は 1時48分
 出発  2時55分 22℃ 曇り

 今日の前半は国道歩きだから、3時前に歩き始めても何も問題はない。涼しい内に少しでも脚を伸ばしたい。国道歩きと言っても70%程は旧国道で今は歴史の道で車も少なく安心して歩ける。


 三角寺(さんかく)の登り口の戸川公園に12時頃到着。この公園は東屋と水とトイレの三点セットが揃っているが、前回(10年前)は宿泊禁止の張り紙が有ったので、今回は計画には入れなかった。この東屋などは電源立地・・・・・という補助金で造られたそうだ。愛媛県なら、きっと伊方原発だ。
 ここから暫くは林道を歩くと「ひびき休憩所」に着く。新居浜の湾岸と海に浮かぶ船が見える。


腕かカメラか、海も船も写っているはずだが・・・


 三角寺には3時10分着 距離は34.3㎞である。昨日、10㎞短縮しておいたので早い時間に着いた。







 前回は到着が遅かったのと雨模様だったので境内の東屋にテントを張らせてもらった。今回は、ゆっくりと下り道を行って、というところだが、またマメが出来たようだ。愛媛県に入る頃には足の裏も固まって安定していたのに、想定外の事態にガックリした。
 おまけに、明日、明後日は雨になりそうだ。本当ならガンガン下って国道まで行きたい所だが。

 幸いに善根宿が在った。運送会社のトラック用のガレージの一画にシングルベッドと布団が置いてある。デスクも有るし、三方壁無しの吹きさらしでいささか寒い。明日、本降りになったらどうなるか少し心配だ。水道も有るし、・・・トイレが無い。前の家の奥さんがトイレを貸して頂けることになった。この付近には他にも善根宿がある。




 風が吹き出した。何だか不穏な予感。

 まあ、飛ばされる心配は無い。

 
 そうそう、登山口までに食料を買い増す予定だったが、店が無くなっていた。手持はラーメンが2食、菓子パンが1個、カップスープ少々。・・・・これで2日間か。屋根とベッドと水道が有れば十分だ。

 今日の行動記録は 横川地区の善根宿着が16;30分、39.0㎞だった。

お四国歩けばー28

 四国の札所で山越えの難所は12番の焼山寺が有名だが、後半にも難所寺が控えている。
今日お詣りした横峰寺もその一つで標高は745mである。
 標高180mの湯浪までは林道だが、ここからは登山コースである。

 昨夜寝た町中の公園は標高20mほどだから実質700m以上の登りだ。
 湯浪は林道の終点で、また名水が汲めるポイントとしても有名だ。ここには東屋とトイレ、名水の三拍子が揃っている。これから横峰さんに登る者にとっては最良の中継ポイントだ。






 ヒノキの林を只管に登る。案内はしっかりしている。
 湯浪から山道に入ったのは7時50分。途中には水を汲めるポイントが4ヶ所ある。






 8時30分。横峰さんに到着。お寺の佇まいが広すぎず良く手入れがされている。






 横峰さんから下った所が61番札所 香園寺だ。
 鐘楼も宿坊も、勿論本堂を鉄筋コンクリート造りだ。本堂は高等学校の体育館ほどあるし、宿坊は校舎程もある。




62番札所 宝寿寺は、これ以上狭くするとお寺の機能が欠けると心配なほど小さい。
 この寺は四国八十八ヶ所の寺院では他にはない特徴が有る。
 他の寺院の納経所は朝の7時から17時までは休み無く対応しているが、ここの宝寿寺だけは昼休みをとって、ロックアウトする。
 また、今年は空海が四国の霊場をめぐって修行をしてから1200年ということで、八十七カ寺は同じ意匠の赤色の護符を納経所で配っているのに 62番寺だけは この札が無い。それでは護符が88枚揃わないので信徒が残念がると思い、61から64の寺が共同で作成した札を配っている。色々、何か変わった寺のようだ。
 
 左の赤色と白色がセットで納経所で受けられるが、62番は白色(お姿といって、ご本尊の姿の模写である)。右の赤札が63番で頂いた62番用の護符である。本来有るべき寺院の名前が入っていない。





今日は64番前神寺までお参りした。
 明日の65番 三角寺までは45㎞ある。相当、早起きしなければ。


今日の記録; 起床 2時30分、 出発3時35分 23℃ 曇り
       公園着 17時50分  39.13㎞

 今夜は西条市から新居浜市に入ったところの小さな町中公園のお世話になります。隣がスーパーなので、時々使っています。国道11号の直ぐ横なので車の音だけがマイナス点です。

  お休み
プロフィール

自転車で100名山

Author:自転車で100名山
10年計画で自転車だけで100名山を完登した記録。登山旅は旅程そのものがドラマだ! 定年からの100名山は自転車の旅で楽しもう! 
トムラウシへの道には車輪よりも大きなフキが群れている。

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