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北海道-1 トムラウシ岳

 2年後に定年が迫った時、山行生活の最終章として自転車で日本100名山をめぐる決心をした。若い時には自転車でツーリングを楽しんだが、自動車生活に負けてから久しい。さっそく長距離ツーリング用の自転車を買って、トレーニングの為に自転車通勤に変えた。
 
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 “定年になれば、イの一番に”と心に決めていた四国遍路に、まず旅立った。4月25日、山で亡くした仲間の菩提を祈って第一番札所霊山寺の山門を後にした。
八十八寺と番外二十ヶ寺に詣で、おおよそ1600kmを歩き通した46日目の6月11日再び霊山寺に還り打ちが叶った。続けて、小松島から和歌山へ渡り、紀ノ川沿いを遡り13日に高野山奥の院にお礼参りをした。これで心置きなく自転車旅行に行く気持ちになれたので、まずは100名山の中の9座がある北海道を巡ることにした。

 


 

  
                 
[2004年8月7日]苫小牧行のフェリーが出る敦賀港に向けて出発。
12月まで帰らないので冬服も詰め込んで37kg、真夏の国道はまさに“酷道”。ペットボトルの水を頭から被りながら北上する。第一夜は琵琶湖の花火大会を見物しながら今津の湖畔公園泊まり。
  

[8日]深夜、フェリーに乗り込む。 
 

乗船切符   船上風景

夏休みだけに超満員だが自転車ツーリストは私一人。
 

[9日]夜遅く苫小牧港に着く。北海道での第一夜はフェリーターミナルの隅にテントを張る。 

  
 
北海道1:苫小牧からトムラウシ

[10日]晴れ、気温28℃。なんとも清々しい。
チャリダー天国の北海道でも年配チャリダーは珍しいのか休憩で止まる度に地元の中高年から声が掛かかり、ついつい話し込む。
 
 
 その上、北海道の第一日目からハプニングである。大阪を出る時に知っていたが、現地に行けば何とかなるだろうとタカを括ってきた事が・・・。幌尻岳の状況を地元の営林署に確認すると、進入路の林道が昨年の大水で崩壊したので入山は不可能、復旧には数年掛かるとのこと。いやはや初っ端からとんだことになったが、

公園にテントを張る 

この夜は平取(ぴらとり)湖畔アイヌ集落跡地の公園に泊る。

2005年以降は東北以南を自転車で100名山めぐりをしたので、結局幌尻岳登山は2008年9月になった。 


 

[11日]幌尻岳は次回にチャレンジということにして、気を取り直して次はトムラウシである。ここ平取は日高山脈の西側の日高地方に在るが、トムラウシは日高山脈の東側の十勝地方の山奥に在る。
明日は日高山脈を標高1023mの日勝峠で越える。この時は、“1000mも上るのか・・・、ああ、しんど”と思ったが、この後も峠越えや登山口まで上るのに1000mクライムにしばしば出会うことになった。民家の灯が遠くに見える峠の途中にある廃校の庭にテントを張る。ラジオからはお盆の供え物を狙って近くの墓地にヒグマが出たとのニュースが流れた。
 

[12日] 日勝峠は日高地方と北海道東部の十勝地方とを結ぶ国道なのでトラックの交通量が多い。

日勝峠

 北北海道は日本の食料基地だけあって農産物を運ぶトラックが特に多く、牛乳を入れた巨大なタンクを二連したトレーラーが猛スピードで追い越して行く。
 

日勝峠遠景 [気が遠くなるほど雄大な北海道の峠みち]

峠を越え、新得(しんとく)町に夕刻遅く着いて公園のバーベキューハウスにテントを張る。北海道では小さな町にも良く手入れがされた公園があり、そこには地元の人がバーベキューを楽しむ為に5,6人から10人程が囲める炉を10も20も設えた東屋風のハウスが建っている。無料の上に水道もあるので、この先もおおいにお世話になった。
 


[13日]トムラウシは十勝岳と大雪山を結ぶ中央山地の中間にあり、

どちらにもほぼ25km、1泊2日の距離である。このコースは縦走屋にとっては垂涎の的であるけれども、自転車が有るので日帰りルートを選んだ。新得からトムラウシの登山口がある東大雪荘までは45km、十勝川に沿って上る。
 

山の交流館 トムラ 

山の交流館とむら」では「東大雪荘までの道はクマが出るから自転車は気をつけて」と声を掛けられた。

「とむら」から先の20kmには自動販売機すら無く、北海道では“燃料と食料は見た時に買っておけ”と言うそうだなるほど、その言葉が納得できる道である。
 

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トムラウシ自然休養林キャンプ場泊。
 
  、

[14日]    トムラウシは樹林限界が低く,行程が長い上に、真夏でも3~4℃までも簡単に下がるので万一の荒天に備えてビバーク装備は必帯である。私はツエルトの代わりにテントのフライとレスキューシートとダウンのインナーを用意した。
 
 

夏の北海道の夜明けは早い。 4時には、もう明るい。

東大雪山荘 

東大雪荘横の一抱えもあるエゾ松と広葉樹の混生林の中に付けられた登山道に入る。一時間半ほどで短縮道からの道が右から合わさる。ほとんどの人は車で林道を上がって短縮道を使うので、この合流点で初めて人と出会う。

 
 さらにエゾ松の林を一時間弱行くとカムイ天上分岐でコマドリ沢に行き当たる。“こんな沢がなぜ?”と思わせる小さな沢であるが、濁流で何度も遭難事故を起こした。

沢筋は通行止めになり尾根上の笹藪を刈り払った新道を行き、右に折れて谷に急降下した所がコマドリ沢の水場である。沢の向こう岸の草付きを緩やかに登ると展望が開けて小高い前トマムに着く。
 

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コマクサが群れている。ここからは岩礫地帯を通過し、
 

トムラウシ公園からの山頂 

ピークを越えてトムラウシ公園と名付けられた小さな窪地を渡ると双頭のトムラウシ本峰とキャンプ指定地が目の前に広がる。
 
 

トムラウシ山頂

  もう一頑張り、最後は大岩の間を攀じ登ってトムラウシの頂上である。11時、頂上からは北に旭岳への尾根筋、南西に十勝岳が望まれる。どこまでも黒々とした北海道の森である。16時、無事に下山し、キャンプ場に連泊する。
  

どこまでもまっすぐな道 

この直線道路はたった15km、それでも1時間以上も一直線に走り続けて鹿追町の画家:神田日勝記念館に向かった。    
                             
 
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道端には自転車の車輪よりも大きいフキが群れている。
 
 

 今回の自転車で100名山の旅行では北海道内の4,496kmを走り、10月27日、ついに長万部で雪将軍に追いつかれたので函館から青森に逃げた。

自転車で100名山をめぐると日本列島の北端から南端までを旅することができる折角の機会だから、東北地方は芭蕉の「奥の細道」を片手にして奈良時代の多賀城や白河関、勿来関などを訪ねながら南下、東京からは旧東海道の旅を楽しんで、6,543kmを走って12月8日大阪に到着した。       
                                                            おわり


ps.このレポートは大阪府勤労者山岳連盟の機関紙「労山ニュース」2005.3月号に掲載したものに加筆改稿したものです。

 大阪労山のHPは山仲間の山行レポートのホームページにリンクしています。

 

 


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tag : 四国遍路幌尻岳自転車100名山トムラウシ日勝峠東大雪荘フキカムイ天上

北海道-2 十勝岳、大雪山

北海道2-トムラウシ~稚内 

 



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自転車で100名山の旅行をするときには、その地方にいわれのある小説を一冊は鞄に入れる。今回の北海道旅行では、三浦綾子氏の「泥流地帯」を選んだ。“大正”があと数日で終わろうとした大正15年5月24日(1926年)、十勝岳が噴火した。溶岩が2m余りの残雪を一瞬に融かして、大泥流を引き起こした。その泥流が西麓の富良野平野を一気に覆いつくし、144人もの犠牲者を出した。 私はこの小説を富良野平野の向こうに十勝岳が一望できる中富良野森林キャンプ場で、台風の通過を待つ沈殿の間に読んだ。






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作物ごとに色を違えたパッチワークを貼りあわせた美瑛のなだらかな丘も北海道を代表する風景である。休養を兼ねて一日ゆっくりと美瑛の丘を巡る。

  キャンプ場は150m程の小高い丘の上に在り、かって泥流に覆い尽くされた富良野平野を挟んで、今も盛んに噴煙を上げる十勝岳が望まれる。強い酸性の泥流に埋め尽くされた田は二度と米は作れないといわれたが、人々の土地改良の努力で平野は豊かな農耕地帯になった。 

  

[2004年8月22日] 5日間の雨宿り停滞にけじめをつけてテントをたたんだ。
キャンプ場からは一度山を下って北上し、上富良野から東に折れて十勝岳を目指す。 79年前の泥流地帯から復興して人参やビート(砂糖大根)の大生産地になっている。北海道の畑は広大で、小学校の運動場なら5面や6面は十分に取れるほど大きい。そんな圃場が何十も連なって、おまけに人参なら人参、ビートならビート、ジャガイモならジャガイモが見渡す限り植わっている。各々の作物には専用のハーベスター(収穫機)がある。


さすが!! 人参の収穫も専用機が活躍する
この写真は人参の収穫風景だが、運転者の後ろの白い屋根の中に二人の女性が乗っていて、葉を切り落とされた人参の中から割れたり折れたりして商品にならないものを畑に捨てる。商品になる人参は収穫機の後ろに固定した1m50cm立方ほどの金属籠に貯められ、一杯になると畑に置いて後からクレン付きのトラックで集めて回る。  ジャガイモの運送と貯蔵には恐れ入った。本州で目にするダンプカーの荷台を高さと長さを共に3倍ほどにした巨大なダンプでジャガイモを運んでいる。ジャガイモを処理するデンプン工場やポテトチィップ工場にはジャガイモの山が幾つも築かれている。大阪で目にするセメント工場の砂利の山の巨大なものと思えばよいだろう。,/span>


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左側は広大なビート畑、右は収穫されたビートだ。携帯電話と比べると、少し大きいサツマイモという感じだった。ビートの収穫も語れば切りが無いので、是非、ご自分の目で感動を味わってください。 収穫風景に見入ったりしたが、富良野から7時間余りの奮闘で標高930mの吹上温泉のキャンプ場に登りついた。   

 

[23日] 起床4時。気温4℃。テントから顔を出すと

十勝岳の噴煙が迫る白銀荘キャンプ場 
今なお激しく燃え立つ十勝岳の噴煙は背後から昇った太陽に照らされて快晴の空に白く輝ていた。

 

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 十勝岳への登山道はキャンプ場から3kmほど北の望岳台から始まる。  鳥はおろか、草さえ生えない火山礫の中を4時間登り、

62Ⅱ噴火口を見下ろす十勝岳山頂 
噴気のあがる「62Ⅱ噴火口」を下に見て十勝岳の山頂に立った。双頭峰のトムラウシ山が望まれる。国設白金野営場に泊まる。

[24日]大雪山の旭岳へは、一度、美瑛(びえい)の町まで下ってから上り返す。

[25日] 旭岳の登山口は標高1100m、美瑛から1日かかりのクライムである。若者チャリダー達は少々の上り坂なら時速7kmは下回らないと豪語するが、定年組の私にとっては時速4kmが精々である。今にも止まりそうになりながら必死にペダルを漕ぐ。不覚にも足先を地面に着けてしまうと再スタートがきれる勾配が緩いところまで自転車を押し登ることになる。自転車旅行は、その行程そのものがドラマチックであり、旅の目的でもある。


[26日] 旭岳への経はロープウエー乗り場を右に20m程行った小橋の横の登山ポストから始まる。
北海道の水芭蕉は本土のものに比べると、全く別の植物のように思えるほど大きい。その葉の丈は7~80cmはある。この時期に、もう水芭蕉の花は無いのは当然としても、また、その実というべき物も見事に喰いちぎられている。なんでも、熊の好物であるそうな。人の群れるケーブル駅から50mほど入れば、そこはもう熊のテレトリーである。
大雪山旭岳山麓のすがた見の池 
クマ鈴を振り鳴らしながら良く踏まれた小経を2時間登ると標高1600mの姿見の池である。ここからまた約2時間登ると山頂であるが、耐風姿勢を要する烈風のために2000m弱で撤退して、旭岳キャンプ場に連泊する。

[27日] 昨日に変わって好天無風。思いの外、あっさりと大雪旭岳の山頂に立つった。

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一気に1000mのダウンヒルで旭川に下り神楽岡公園に連泊して市内を見物する。

[29日~9月1日] 旭川から西へ40kmの秩父別(ちっぷべつ)で台風16号をやり過す為に停滞する。。悪天ならば連泊して郷土資料館などで町のいわれを調べるのも楽しいことである。時間を贅沢に使えるスローライフな旅である。

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秩父別は屯田兵が開いた町であり、公園や住宅団地に名を留めている。


[2~3日] 日本海岸に出て、天売国道をひたすら北上し稚内を目指す。   

北海道を自転車で旅すると異次元の生活体験を味わえるが、天売国道沿いの道の駅「てしお」では驚天動地の経験をした。道の駅の自販機で買ったコーラの空き缶を捨てる箱が無いので、すぐ横の売店で捨てるところを尋ねるとなんと!!!!!!   

「空缶は持って帰ってください」と堂々と宣告された。???????

「空缶は、お客さんのものですから・・・・・・・」だと!!!!!!。。

この道の駅の客あしらいは旅人の間では有名なことだとさ・・・。 

 ・・・・でも、これぐらいのことで、北海道の魅力は損なわれないょ~~~。
再度、行きたいな~~~~


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 ローマの巨大なコロシアムを想わせる防波堤の中にテントをはる。 巨大な防波堤。左側の壁の向こうは日本海である。 


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[4日]稚内港から利尻に渡り、北麓キャンプ場泊。

 翌5日、快晴の利尻岳に登ると山頂からは国境の海の向こうにサハリンが望める。下山後、島の西岸に位置する沓形(くつがた)岬公園のキャンプ場に移り、このキャンプ場に一週間以上も居続けることになるとは、この時はまだ想像もしていなかった。自転車で100名山を旅すると地元の人との語らいと交流は想い出深いが、利尻の旅は特別だった。その突然やってきた旅のハイライトは次回報告しよう。                                                                      おわり

 

ps.このレポートは大阪府勤労者山岳連盟の機関紙「労山ニュース」2005.4月号に掲載したものに加筆改稿したものです。

大阪労山のHPは 山仲間の山行レポートのホームページにリンクしています。

                      

 

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北海道-3 利尻、礼文の旅

  私は日本地図を見る度に、北海道の北に位置する利尻島、礼文島と九州の南に横たわる屋久島、種子島の2組の似通った姿の不思議に惹かれる。

 

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[礼文岳からの利尻富士]


利尻島と屋久島は共に洋上アルプスの異名を持つだけに、堂々とした主峰を海上に押し立てて雄々しく火を噴いていた時代を思わせる。さらに、各々の主峰が日本100名山の北限と南限であることも不思議な一致といえよう。

それに比べて礼文島と種子島は、最も高い山でも500mにとどかず、形も細長いサツマイモのようで、なんともきゃしゃな姿である。今回は利尻礼文の旅をお伝えしましょう。




 

 

北海道3利尻&礼文

  

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 [2004年9月4日]ついに最北の100名山・利尻岳の北麓野営場に着いた。

 利尻岳では携帯トイレを義務就けている。登山を野営場に届けると、その場で携帯トイレを無償で貰える。更に、キャンプ場の水洗トイレの出入り口にも携帯トイレは置いてあって、登山者は必要なだけ持って行けるし、回収ボックスもここに設置されている。野営場から山頂までの5時間程の登山コースに、4箇所の簡易トイレブースが設置されている。

[9月5日]利尻山頂までは標高差1500m、4時に出発する。

気温7℃、本土なら秋の空というような抜けきった青空が高い樹冠の上に垣間見える。歩き始めてすぐに名水“甘露泉”が流れている。水が汲めるのは、ここだけである。


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2時間半の登りで一等三角点が在る八合目(1219m)の長官山で一息入れ、もう少し登るとダテカンバの喬木の間に避難小屋が在る。

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8時35分、利尻岳山頂に登り着いて祠に詣でる。

この日は一年に45日も無いといわれる快晴に恵まれ、西には礼文島、東に稚内が見え、北方にはサハリン(樺太)が思いの外近くに望まれる。登山者は10人足らずで、その中の同年配者と言葉を交わす。

 その人は100km彼方のサハリンに目をやりながら「樺太に在る親父の墓に参ってきた。国の墓参船も今年で終りなので“もう来られない”と親父と別れてきた。」と、ほほを伝う一筋の涙と共にしぼり出すように話した。今は異国となった故郷への望郷の思いで登る人もある最北の100名山利尻岳である。


 上り4時間30分、下り3時間20分、無事に野営場に帰着した。この北麓野営場のキャンプ料はタダの上に管理人も親切なので、涼しい樹間にテントを張って、ひと夏の間、居続けで絵を描き続ける粋な人もいる。

 自動車の足が有るキャンパーには木陰が多い北麓キャンプ場を推すが、自転車ツーリストにとっては買出しや温泉の度に、海沿いの街まで200mの上り下りが億劫なので、島の西岸の街に近い沓形キャンプ場に移った。



大きな地図で見る


沓掛キャンプ場からの利尻岳 


[9月6~10日] 沓形キャンプ場は溶岩で出来た岬にあって、海抜10m程である。

このキャンプ場はとにかく至れり尽くせりでだ。休憩舎には洗濯機が2台置いてあって、それも無料で使える。土地の人の話によると、北の端の町まで来てくれた人をもてなしたい、との町長さんのポリシーだそうだ。とにかく地元の人が親切で、晩御飯の惣菜まで届けてもらったこともある。また、キャンプ場から徒歩5分で温泉、徒歩7分でスーパー、徒歩9分でコンビニ:セイコーマートがある。北海道には無料のキャンプ場は数多いが、沓掛キャンプはお勧めナンバーワンだ。

 

このキャンプ場には“住み着いている”人がいる。

彼は札幌の人で、10年以上も毎夏2ヶ月間を家型テントで一人住まいをしながら、利尻と礼文を保険の勧誘に走り回っている。
彼は夜な夜な、キャンパーに声をかけて宴会を振舞ってくれる。その宴会のメインディッシュは地元の親しい漁師さんから手に入れた新鮮そのものの海の幸である。ウニやホタテは毎夜のことで、中でもレアものはムール貝である。フランス料理で出されるムール貝の長さは10cm程だが、利尻島のものは25cmを超え、太さは男の手首ほどのもある。潮流が激しく渦巻く岩場で極少ししか採れず、市場に出ることも無いそうだ。これを食べるとホタテの貝柱など箸も出なくなる程の珍味である。

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また、港の突堤からのサケ釣りが解禁になったので、釣った大きい鮭で “チャンチャン焼き”をしたこともあった。

[11~14日] 礼文島

頭を北にしたクワガタ虫のような形をしていて、西側の角の先端から始まる“西海岸8時間コース”が人気である。台風19号の直撃の余波が収まるのを待って、キャンプ場で親しくなった2人の若者と礼文島に渡った。

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久種湖キャンプ場から2時間歩いて、角の先端“スコトン岬”を6時にスタートした。



歩き出してすぐに車道から分かれて草原の中の小道に入る。

細かくうねる草原を1時間歩くと海岸に出て、さらに海沿いを1時間半で澄海(すかい)集落に着く。

コース中で唯一のエスケープ地点であり、この先は最終点まで民家も雨宿りをするところも無い。

この後は、海から離れて海抜2300mの笹原とブッシュの小道を行く。澄海から約2時間半で標高229mの小山に着き、そこから海岸に出る。最後の100m程はガレた急坂で、柵代わりの細いロープは所々に張ってあるが、足元に気を付ける。

下りきった所の小川を渡ると、高さ50m程の垂直の崖の下に大小様々な岩と一抱え程のゴロタ石の海岸である。この海岸は波打ち際から崖下までは1015mしかなく、ほとんど水平なので少し大きい波が来ると海岸深くまで打ち寄せる。また、波が来るからといって、崖下に逃げると落石の直撃を受けかねない 。コースの最後になってから、コース最大の危険地帯を通過することになるので、澄海で波の状態を確認してから入ることをお勧めする。


スコトン岬から急ぐこともなく6時間30分で歩いた。

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折角、礼文島に来たので礼文岳に登るために緑が丘公園にテントを張って、翌朝、島の東海岸から視界の無い灌木の林を緩やかに登る。低い山なので視界を期待していなかったが、山頂からは利尻や稚内も見渡せた。

 

もう一度、利尻島に戻って宴会を楽しみ、12日ぶりに稚内に渡ってオホーツック沿いを阿寒岳に向かった。

一緒に歩いた2人の若者とは、この後も、付かず離れず、時々は出会いながら楽しい旅を続けた。自転車で100名山をめぐる旅は旅程そのものがドラマだが、世代を超えた若者と知り合いになれるのも大きな楽しみだ。

                                                   おわり 

 

ps.このレポートは大阪府勤労者山岳連盟の機関紙「労山ニュース」2005.5月号に掲載したものに加筆改稿したものです。

大阪労山 のHPには高所登山からハイキングまで山仲間の山行レポートのホームページにリンクしています。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

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tag : 北海道利尻岳長官山沓掛北麓野営場礼文久種湖スコトン岬西海岸礼文岳

北海道-4 雌阿寒岳

 この北海道旅行に出る前に、私は四国を48日間遍路した。足裏の皮が何度も破れて徐々に硬くなり、いつのまにかスリッパの裏のようにカチカチになる頃には出立時の気負いも消え。ただ、ひたすら歩くだけで満足出来るようになる。これも遍路のご利益だろうか。

 

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 さて、北海道での自転車で100名山の旅も最北の100名山・利尻岳に登頂して、ずいぶんと気が楽になった。とはいえ、実際は北海道の四分の一しか走っていないし、100名山登山にしても、ようやく半分の4座に登ったに過ぎない。今回は本邦最北の宗谷岬から霧の摩周湖までの約2週間をご報告しましょう。

[9月15~20日] 利尻島で一緒だった若者達とは、その後も時々携帯で連絡を取り合って旅を続けた。

最北の島々では利尻岳と礼文岳に登ったり、連夜の宴会キャンプを楽しんだりして、12日ぶりに北海道本島に戻ってみると、時は既に9月中旬、隊列を組んで疾走していた大学のサイクリング部も見かけなくなっていた。さらに観光客もめっきり少なくなったオーホツク海沿いを網走へ、そして雌阿寒、雄阿寒岳を目指した。

 
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稚内から宗谷岬まではおおよそ30kmである。20km程走ると間宮林蔵が北蝦夷(カラフト)探検に船出した浜に着く。そこには記念する標識が立っているだけで集落も、その跡さえも無いが、1808年当時には小屋掛けなどが有ったのだろうか。先人の偉業を思いながら、旧跡に立てることも旅の楽しみである。

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 ♫ 流氷とけて~、春風吹いて~、はまなす咲いて~、カモメも啼いて~・・♬年間観光客が100万人といわれる宗谷岬も、今は閑散として、この歌が心に沁みる。最北の秋は本州と比べると一足も二足も早くい。まだ9月中旬というのに既に秋色深しというところだ。 

宗谷岬を過ぎると、ようやく進路は南に向いて、網走まではオホーツク海沿いを400kmほど走る。この付近の国道には堤防や護岸も無くて浜辺のすぐ傍を走っている。その砂浜と道路との間の狭い草むらに白樺が自生している。まさに、海抜ゼロメートルに白樺の林があるのも、寒冷地を代表する景色だろう。


日本一のサンゴ草の群落  

 [9月20~25日] 網走市郊外の能取湖(のとろこ)の湖畔に広大なサンゴ草の群生地がある。とことん人手を掛けて作り込まれた富良野のファーム富田に比べてもこのサンゴ草の赤一色は決してひけをとらない。

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一本々々のサンゴ草の草丈は2~30cmで、縫針ほどの太さの硬い茎の周囲をマッチより少し太めの真っ赤な多肉質が覆い、多くに枝分かれしている。その名が示す紅サンゴそのものである。日本一の群生地で真っ赤なじゅうたんを敷き詰めたようだ。

 
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[9月25~27日] 雌阿寒岳への登山口

オンネットー湖畔のキャンプ場に有る。オンネットーまでは野中温泉からエゾ松の原生林に付けられた小道に入り、おおよそ50分程である。登り始めるとすぐに樹林が切れて眺望が開ける。足下のオンネットーはコバルトブルーに静かである。

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 雌阿寒岳は水蒸気を盛んにあげる活火山で、火口底に小さい赤沼、青沼があるが、危険防止のために柵代わりのロープが張られている。今日も快晴に恵まれて、山頂からは遠くに阿寒湖がわずかに見える。

 雌阿寒山頂まで標高差830m、上り2時間半、下り1時間45分、周回コースを利用して野中温泉へ直接下る。オンネットー湖までの林間コースを含めても5時間程で一周できる。  阿寒湖畔を観光してから雄阿寒岳登山口の駐車場にテントを張っていると、利尻島以来共に旅をしている若者の一人が追いついて来て一緒に登山をすることになった。登山口は阿寒湖から流れ出る阿寒川の水門の際に在って、樋門を越えて登る

雄阿寒岳登山口付近の阿寒湖 

 雄阿寒岳の標高は雌阿寒岳より約130m低いが雌阿寒岳に無い優れた点がある。

この付近の阿寒湖は観光船も観光ホテルも無縁だが、雄阿寒岳を背景にした回遊式日本庭園の趣と静けさを秘めている。

雄阿寒岳の標高は雌阿寒岳より約130m低いが雌阿寒岳に無い優れた点がある。

髮・仭蟇貞イウ3_convert_20090712194621  その第一はなんといっても眺望の素晴らしさである。一等三角点を持っていることからも、その見晴らしは第一級であることが保証されている。阿寒湖を眼下にして南西には雌阿寒岳、北東遠くに斜里岳までも望まれる。

深田久弥氏は雄阿寒岳と雌阿寒を日本100名山に選んでいるが、僅かに130m高い雌阿寒岳に登る人は多いが雄阿寒岳に登る人は極めて少ないが、この一連の北海道旅行でも最高のビューポイントだった。

こんな隠れた穴場を発見できたのも自転車で100名山を周ったお陰である。登山口の駐車場はせまい谷間に10台程度の車が置けるスペースが有るだけで給水はもちろんトイレの他は何も無く、車上荒らしが多いとの注意書きが有った。

 [9月28 ~29日] 阿寒湖の標高は450mであるが、

摩周湖へのアプローチになる弟子屈(てしかが)町に行くためには、 北海道の形に見える双岳台からのベンケトウ標高750mの双岳台まで登ってから一気に400mを駆け下る。おおよそ5kmの間は強烈な下り坂で、勾配8%の標識が随所に揚げられている。勾配だけなら箱根旧道の10%の方がきついが、5kmも続くとなると恐ろしい限りである。  

北海道上陸から、テント生活50連泊の夜は弟子屈町の水郷公園で迎えた。

自転車で100名山をめぐっていると、本州から来た旅人までが、自分が回っている自動車での旅が色褪せて見えるのか、うらやましそうに話し掛けてくれる。

この夜も、一緒になった夫婦連れはクーラーボックスから食料を次から次と取り出して、腹一杯に御馳走をしてくれた。

 

屈斜路湖畔に湧く露天風呂:底一面にきれいな緑色の藻が生えている 

弟子屈から15㎞北西の屈斜路湖の和琴半島に湧く温泉に行った。

全く囲いの無い正真正銘の露天風呂である。入湯にはいささかの勇気が要るが、湯釜の底面一面に生えた緑色の藻の不思議に曳かれて入った。少々、足で擦っても舞い上がるような軟な藻では無く、底の玉石にしっかりと密生している。 まるで緑色のカーペットを敷き込んだ風呂に入っている王侯貴族の気分だった。

大阪を出てから2,687km、昨日の強烈な下りでブレーキの効きが甘くなったのでブレーキシュウを交換する。また、重い荷物を積んでのサイクリングでは自転車の不調が命取りになりかねない。少しでも車輪に振れがあると、ある速度で共振して激しい振動が起こり、その為にハンドルのコントロールが出来なくなって大転倒になりかねないので、毎朝の出発前にはタイヤの振れ取りだけは欠かせない。

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裏摩周展望台にゆくには弟子屈から東へ大回りをする。おおよそ45kmである。摩周湖はカルデラ湖なので、どうしても火口壁の上に登らないと湖水を見ることができない。標高にして450mを登るだけなのに思いの外に苦戦した。清里峠で左に折れてから火口壁に直登する3kmの急坂を登ると、やっと、展望台である。

  女神の涙を思わせる透明な水

この後はダートを走って神の子池に行く。

摩周湖は世界一の透明度を誇っているが、そのピュアな水を、さらにろ過した水が神の子池にとうとうと湧き出ている。なんとも魅惑的な、なんとも不思議なスワロフスキーのガラスを思わせるクリヤなアクアブルーの水である。 

 おわり

 

 


ps.このレポートは 大阪府勤労者山岳連盟の機関紙「労山ニュース」2005.6月号に掲載したものに加筆改稿したものです。大阪労山 のHPは登山教室と山仲間の山行レポートのホームページにリンクしています。

 

 

 

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北海道-5 斜里岳&羅臼岳 自転車で100名山

自転車で100名山をめぐる登山では色々な心配事が有るが北海道ではヒグマとエキノコックスが心配だ。

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このポスターは斜里岳登山口の清岳荘に掲示されたものだが、これと同じようなポスターは町の中の小公園のゲートボール場などのも貼り出されている。



1970年にはカムイエクウチカウシ山で、福岡大ワンダーフォーゲル部員が1頭のヒグマに度々襲われて、3日間に5名中3名が殺されるという惨事が起こっている。 

 
福岡大生を襲う前に、
北海岳友会のメンバーを追い回していた。九死に一生を得た北海岳友会員はその体験と、遭難した福岡大生との出会いの状況や事故の様子を詳細に報告した。また同報には「福岡大学ワンダーフォーゲル部の遭難報告書」の抜粋も記載されている。

「カムイエクウチカウシ山におけるヒグマによる遭難」:北の山脈(北海道撮影社)の創刊号(1971年)。

                    

  

斜里岳と羅臼岳

 


 

 







鳴物を着けていてもヒグマに襲われることが有る。

 

鈴は必ずしも有効ではないが、少しでも無用の遭遇事故を避けるためにクマ鈴を用意した。大阪の登山店を回って一番大きい音がするクマ鈴を買った。皮ベルトに日本古来の“鈴”が3個付いたもので、結構良い値段がしたが心もとない音なので四国遍路で使った“持鈴”を持って行った。



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持鈴はベル型で「リーン、リーン」と高い音が響く。

北海道の登山店では持鈴と同じベル型のクマ鈴が売られていて、道内の登山者はベル型を使用する人が多いようだった。
中には「ピンポン」と大きな電子音がするタバコ箱大の装置を着けている人もいた。ラジオも有効といわれるが北海道ではラジオが受信しにくいところが多いし、特にクマとの遭遇が最も心配される谷筋ではラジオが受からないので注意が必要である。


また、グループ登山のリーダやプロガイドでクマ対策スプレーを腰に着けている人もいたが、


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 私は、スプレーを用意せずに、グリップも含めた全長32㎝、ブレード18㎝、グリップ部分がパイプ状で木の柄を足すことができる山刀を北海道の登山店で入手した。実際にこれで戦えるか、先に腰が抜けるかは別として山中で頼りになったのは事実である。

 

 

 [2004年10月1日] 天候の回復を待って沈殿していた清里町の公園から斜里岳に向かう。



大きな地図で見る

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登山口まで標高差650m、ダート交じりを15kmである。


林道を自転車で走る時もヒグマとの出会い事故に備えて山刀はすぐに手が届くところに取り付け、さらに笛を吹き続けながら走る。


10月初旬は紅葉の絶好期で何処の山も燃え立つように輝いているが、北海道の山はもうオフシーズンなのか登山口の清岳荘は閉じていて、辺りに全く人影は無かった。



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黒板に書かかれたヒグマの出没情報も9月2日付で古くなっているのが一層不安を募らせる。

鈴と笛と山刀を身に着けて、沢沿い30分で下の二股、

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ここで沢通しの旧道と尾根筋の新道に分かれるが旧道を行く


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1時間半で上の二股、新道が合わさり、がれた馬の背を急登30分で山頂である。


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斜里岳からの眺めはオホーツクの海岸が長々と弓を引き、大山からの眺めとよく似ている。30分の間、眺望を独り占めして下る。



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登りには気が付かなかったが、上の二股分岐のすぐ横にヒグマのフンが二箇所にあった。

ヒグマは雑食性で、この時期は山ブドウやナナカマドの実を多く食する。その為にフンはまるでブドウの搾り粕のような茶紫色の荒い粒子(多分、ブドウなどの果皮)に大量の種子が混ざったものだった。一両日の雨に叩かれて幾分かは崩れているが古いものではなさそうなので、一段と鈴と笛を鳴らし山刀を握り締めた。


上の二股から新道を30分で熊見峠である。ぬかるんだ急坂を下ると川沿いの道に出て、清岳荘は近い。


山頂まで登り3時間、下り2時間半で無事に下山する。




[10月2日] 清里町から途中一泊して知床半島のウトロ国設キャンプ場に着く。


キャンプ場は海沿いのウトロの街の後背に在って、急坂を50m登った観光ホテル街の一角にあるが、キャンプ場は9月末でオフになっていた。

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一抱え以上もある樹林の下に広がる草原で、

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客の居なくなったキャンプ場はエゾシカの天国になっている。


キャンプ場の一角に大きなタンス程の鋼鉄製のロッカーを見つけた。貼ってある注意書きによるとヒグマ対策のフードストッカーだった。こんな街中といえるキャンプ場にフードストッカーが設置されているのには少なからず驚いた。例え、街中に近いキャンプ場であっても知床はヒグマのテリトリーなのだ。調理も食事もテントから外れた所で済まし、残りの食料はフードストッカーにしまい込んだ。



[10月3日] 自転車で100名山巡りの道連れとなった若者と羅臼岳に向かった。


ウトロから知床横断道路で自然センターまで行く。

そこから道道93号で岬の峠を回りこむと岩尾別ユースホステルがある。この時期には目の前の小川に鮭が大挙して遡上していて、それを狙ってヒグマが出てくるので有名である。

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ここから道道の支線に入り、イワウベツ川沿を詰めるとホテル地の涯である。玄関前を右に回り込むと登山口の木下小屋がある。


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閉じられた木下小屋の前に自転車を置いて、視界の無い斜面に入る。


羅臼は北海道でもヒグマの生息密度の高い所で、山麓の観光地知床五湖でもヒグマの出没で散策が制限されることがある。

また、旭川のキャンプ場で知り合ったイギリス人は羅臼岳登山で、ヒグマの子供と遭遇し、危険を感じて、すぐに木に登った。母熊がうなり声を上げて走ってきて、一時間余りも木の周りを臭いを嗅ぎながら歩き廻わるので、心底、生きた気がしなかったそうだ。よほど怖かったのだろう、彼は思い出話をしながら身体を震わせた。


最初にあげた福岡大学生の悲劇はテントの外に置いていたザックに近寄ったヒグマを鍋を叩いて追っ払ったことが発端になった。

エサ(ザック)を取り返そうとして大学生を追い回すヒグマの執念の深さと、このイギリス人が登った木の周りを一時間も離れなかった執拗さはヒグマの性格そのものである。


登り始めて40分程は樹林帯の急登で視界が利かない。視界の利かない林の道で、先のイギリス人の体験談を思い出して緊張していた時、林の中で木が折れる音がした。

~~~~ヒグマ~~~~~ 一瞬背中が凝った。


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大きな角をしたオス鹿が私達を見ていた。



林を抜けるときれいな水が流れる小沢を跨ぐ。この流れは弥三郎水と言うらしいがエキノコックスの危険が一杯だろう。


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流れが細くなり、やがて伏流すると極楽平に着く。山頂まで4.0㎞とある。



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しばらくは沢に絡んで登り、金襴の紅葉の中を、さらに涸れた沢に沿って高度を稼ぐと眼下に知床五湖が光っている。


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山頂直下の羅臼平にはステンレスの厚板製のフードストッカーが設置され、6テン5張は張れるが水場は無い。水は登山道の途中で小沢に沿う辺りで弥三郎水が入手できる。そこにも4テンが張れるスペースがあるが、ヒグマとの伴寝の覚悟が要るような場所である。


羅臼平からの羅臼岳 鄒・・蟯ウ逋サ螻ア7_convert_20090731213220

もう一か所の水場は、羅臼平から見た羅臼岳の山頂部の急傾斜になった山腹に水が滴っている所がある。
年中利用できるか保証の限りでは無い。この時は既にツララができていた。「岩清水。頂上まで600M」とある。



羅臼平のように登山道の途中にザックを置いて、登頂し、山頂から下りてくるとヒグマがザックを漁っていた、ということは時には起る。この時は、決してザックを取り返してはならないと話してくれたのは北海道在住で北海道300名山を踏破した山屋さんだった。


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この時期の羅臼平は赤、黒、白のベリーの季節である。「大草原の小さな家」の二女のローラがベリー集めに走り周りそうな雰囲気だった。


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山頂からは北に硫黄岳の荒れた火口壁が見え、東の足下に国後島が見える。


登り4時間、下り3時間半である。

 


 [10月4日]ヒグマはダートでも時速50kmで走るが、自転車はせいぜい5km、これでは初めから勝負にならない。


やはり知床を自転車で走るのは勇気がいる。

心細く思っていると、旅で知り合った若者もやってきて、昨日の若者と三人揃ってカムイワッカ湯滝に行く。

知床五湖を過ぎると後はダートを16km4時間で湯滝の登り口に着く。


商魂逞しい草履屋が露店を出していて沢草履を500円で借りる。


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滑滝交じりの沢の中を距離にして800m程登ると、湯気の揚がるカムイワッカ湯滝である。先客は2人だけ。のんびりと湯の滝壷を泳ぎ回る。

温泉は滝の落ち口の上に在るので、滝壺の場所によって温度のむらがあるが気持ちよく楽しめた。

水着着用がエチケットである。着替えは背丈に満たない岩陰でするので混みあう夏は勇気が要るだろう。



次の日には知床横断道路で標高720mの知床峠を越えて羅臼町に向かう

 


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 標高720mの知床峠は既に晩秋で、峠を登りきって休憩をした瞬間に寒さが全身を走り抜けた。 北側に羅臼岳を見ながら峠を越えて羅臼に下った。

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そこは国境の町で国後島が目の前である。近いところでは対岸まで16㎞、海峡の中央に引かれた“国境線”まで8㎞である。



北海道に上陸したのは8月10日だったので、ここまでで56日間走り継いできたことになる。しかし、自転車で100名山の旅はちょうど半分の旅程が終ったに過ぎず、晩秋の寒さから旅の日数の不足が心配になりだした。


更に、1027日に長万部で雪将軍に追いつかれるまで自転車で100名山の北海道の旅は続いた。

 
おわり

 



この原稿は大阪勤労者山岳連盟機関紙労山ニュースに投稿したものに加筆訂正したものです。

 

 



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北海道-6 幌尻岳2008

自転車で100名山めぐりの最初の年、2004年にも北海道に渡ったが、折り悪く幌尻岳は前年の洪水で林道が寸断されて入山出来なかった。この顛末はブログ「北海道-1 トムラウシ岳」をご覧ください。 

幌尻岳を残したままにして、その後は北海道から東北、関東へと、北から南へ登山を続けた。2004年からの10年間で100座に登るのが大まかな予定だが、2008年までの5年間に60座に登ったので目標をどうにか果たしている。 また、2009年は北アルプス南アルプスにも登りました。

中部~北海道登山地図 


しかし、幌尻岳がもれたままでは何となく落ち着かないので、2008年は幌尻岳を第一の目標にし、続いて羊蹄山に再登し、フェリーで小樽から新潟に渡って頚城山塊、後立山などの14座を目指した。

このページでは2008年の幌尻岳への旅をレポートします。
  

2008年の自転車で100名山の行程図  [2008年の旅行の道筋]


幌尻岳へのアプローチ [2008年9月4日]

 

2008幌尻岳&羊蹄山 

 

 
幌尻岳は日本100名山の中で最も登りにくい山といえるかもしれない。
問題点は幌尻山荘宿泊の確保と額平川の水量の2つだ。


 幌尻山荘は4月に予約を受け付けるが、一両日中にツアー会社が全期間の宿泊を押えてしまうので個人客が予約を取るのは大変に難しい。しかしホームページで公開された予約状況を数年間観察していると次の事に気付いた。

 

9月になると予約がキャンセルされて空席の日が出現するのだ。


自転車旅行では雨天や自転車のトラブルや道路のアップ・ダウン疲労などの条件が大きく響くために、一日の走行距離を決められないので厳密な日程が組みづらい。自転車旅行はどうしても「一日一日が勝負」的なものになるので、宿泊などの予約は自転車旅行ではやりにくい事の一つだ。

また、半年も先に予約を先取りするような旅行は私の趣味に合わないので、あえて予約をキープしなかった。

 

しかし、登山口に近い平取まで順調に来たし、この先の天候も崩れそうにないので山行日程も決められる段階になった。そこで初めて平取町山岳会に予約を入れた。ちょうど週末に当たるので満席を心配したが、キャンセルが出たので宿泊の予約とれた。

 

~~~~ 万一、予約が取れないとどうするか? そこは、時間だけは余裕があるリタイヤ人生の特権を生かして、何日でもキャンプ生活を楽しながら空きが出るのを待つつもりだった。9月にはキャンセルがでるのはわかっていたので余裕で待つ覚悟があった。 ~~~~ 

 


もう一つの問題点川の水量については、7月は融雪、8月は集中豪雨で水嵩が高いと予想して9月を選択した。この2つの推測が功を奏して楽しい山行になった。

 



大阪を8月20日に出て東京に29日着。



ここで自転車の最終整備とタイヤを取り換えて92日に出発し、

霞ケ浦湖畔の公園 東京から大洗までは125km、自動車なら4時間の距離だが、自転車では一日で走るには難しい距離である。まして翌日の乗船に合わせるには17:30までに到着する必要がある。

自動車なら半日も掛からない距離でも、自転車旅行では二日間を要することもよくある事だ。これが、自転車旅行というものである。この夜は土浦の霞ケ浦湖畔に寝て、 

 

大洗で乗船 大洗での乗船は318:30

 


苫小牧で414:00に下船する。


鵡川のバス停で若者と一緒に寝る

太平洋岸を南東に36km走って鵡川(むかわ)のバス停で、九州から陸走してきた大学生と寝る。彼は軽快なクロスバイクに小さなザックとシュラフを括り付けただけの軽装備で、足元はゴムサンダルという出で立ちだった。このような軽装備で旅が続けられる者こそ世界一周も夢ではないのだろう。同じ北海道を走っていても、いくらでも冒険的なツーリングは出来るものだ。彼は夏休み明けの開講日までに宗谷岬まで走りたいと、朝早く出て行った。

 


私は彼を見送って、6:30に出発した。国道237で平取(ぴらとり) を経て幌尻岳を目指す。
道の途中で今日の昼食を買う予定だった。私は4年前にも、この道を走ったことがあるので、10kmほど先の国道沿の二風谷にも食料店が有ったように思っていたので、平取の町中では食料店の場所などを尋ねもしないで、軽い気持ちで町中の旧道を走った。平取町のバイパス沿いにコンビニも見えたが無視した。後からわかったことだが、実質的に、幌尻岳までの間で食料が手に入るのはこのコンビニが最後だった。

 


  平取の街角:ここの食堂でおにぎりを頼んだ 平取から10km先の二風谷(にぶたに)のアイヌ文化博物館前の信号付近に数件の土産店と食堂が在ったが目的の食料店は見つからなかった。急きょ、信号側の食堂でおにぎり弁当を頼んだ。このおにぎりの大きいこと。コンビニのおにぎりの二倍以上はあって食べごたえは十分だった。ここの女主人の気風の良さに引かれて、帰り道ではここのライダーハウスに泊まらせてもらうことになった。

 


ここから5km
(先の荷負(にぶ)の信号)
で道道71に入る。貫気別(ぬきんべつ)の信号を右折れするとトイレが付いた大型のバス停がある。ガラス戸もあるので天候が荒れた時は退避できそうだ。橋を渡って左折れすると牧場と畑作地帯になる。芽生(めむ)は牧場や畑の間に点々と住居が在るような処で街と呼べるものは無いが、小さな社と集会所がある。集会所横の水道で水を頂いた。
荷負の信号が10:30、貫気別11:15、芽生12:30、ここまで5.1㎞、標高差130mにちょうど2時間である。


地形図には、この先に町営牧場とあるが、現地では所々に住居が点在していて、広い牧野のような感覚は無かった。登山の帰り道で聞いた話だが、この付近のスズラン群生地にはヒグマがしばしば現れるそうだ。

 

桂峠との三叉路に在る民家が最後の集落で、ここからは1kmほどの間だけ工事中の二車線直線道路があるが、これを過ぎるとダートの林道になり、先年の大水の復旧工事が随所で行われている。この工事中の林道の土は粘土質で自転車の車輪と泥除けの間に詰まって踏むのが重たいので、時々停車して、木の枝でほじくり出さないと走れないので結構時間をロスする。

 


 

北海道では街中と思える所にも「ヒグマ注意」の看板が立っている程だから、林道でのビバークはヒグマと背中合わせに寝るのに等しい。後刻、幌尻山荘の管理人に聴くと、この林道を自動車で走っているとしばしばヒグマと出くわすそうだ。自転車は走行音がしないからヒグマも人の接近に気付かないので、カーブでの出会いがしらの事故に気を付けるように注意を受けた。下りは自転車の速度が速いので連続して笛を吹きながら走り、特にカーブでは速度を落として笛を力一杯に鳴らして少しの間ようすを見てから曲がるようにした。

 

 

 

林道のゲートに到着 駐車場はガラガラ 駐車場にテントを張る  泥と落ち葉の深い林道だった。芽生から19.8km、標高差285mを走り切って、17:05にゲート脇の駐車場に着いた。芽生から4時間35分かかった。

 

 
ゲート脇の駐車場には30~40台は置けそうだが、週末にも関わらず10台ほどしか停まっていない。余りに閑散として人の気配がしないので、こんな所に寝て、ヒグマが出ないか不安だった。駐車場には簡易トイレが有るが給水の設備は無い。ゲートの右手に浅い溝があって細々とした水が流れている。エキノコックスが心配だが、今夜と翌朝の炊事はこの水を使った。

今日はしんどい一日だった。10時間35分で87.4kmを走り、その内の19.8㎞がダートだった。

 



 


幌尻山荘、幌尻岳へ [967]

”今のゲート” から取水口までは 6.8km。約2時間の距離だ。

暗い中を歩いてヒグマとの鉢合わせが怖いので、ライトの光が届かない所も見渡せる程度の明るさになってからゲートをくぐる。

自転車を置いて出発  出発は5:00。自転車にはカバーを掛けて山行計画書も表示した。


 

旧ゲートを通過 40分で旧ゲートを通過、

 


幌振橋分岐を右へ行く 1時間10分で幌振橋。



昭文社の登山地図(右下の青色)には今のゲートは掲載されていない。昭文社の登山地図の左上隅にあるゲートは旧ゲートである。

今(2008年9月)のゲートと旧ゲートの間は片道35分かかる。取水口と今のゲート間は(私の足で)片道1時間50分である。

合成地図:幌尻ゲート~取水口  

 

1時間40分を歩いた時、私の脇にトラックが停まって「自転車の人か?」と声が掛かった。
自転車で100名山の旅は、ここまで自分の足だけでやって来たので、自動車に乗せてもらうとポリシーが崩れると乗車を渋ったが、「こんな山奥まで自転車で良く頑張ったから、ここからは乗っても良いではないか」と勧められて車に乗せてもらった。
幌尻山荘の管理人さんで取水口まで車を乗り入れるようだ。

 

 

北海道電力の取水口 

 取水口に6:35、鉄柵の横から右岸を10分ほど歩くと

 

最初の徒渉点:少ない水に安堵する 最初の渡渉点に着く。

 





昭文社の登山地図では「徒渉開始地点」は四ノ沢の極めて近くに表記されている。しかし当日のGPSのデータでは、最初の徒渉点は取水口と四ノ沢の距離の1/3ほど、地図上で左岸から沢が流れ込む地点を過ぎた所だった。

 

  沢歩きに備えて足作り 私は自転車旅行なので軽量化を最優先に、5本指靴下に沢草鞋、100均で買ったサポーターでカッパのズボンの裾を押える装備にしたが、管理人さんはピン付きのゴム製地下足袋、地元の登山者は運動靴を履いた人、とび職用のアメゴム底の地下足袋姿など様々である。ただし、アメゴム底は薄いので足裏が痛いということだった。一般的な黒色ゴム底の地下足袋にスパッツ状にコハゼが付いたものは、そのまま登山にも使えるということだった。

 くつろぐツアー登山者  今日は記録的な減水とあってツアー客は記念写真を撮ったりして楽しんでいる。
四ノ沢で会ったツアーのガイド(右から3人目)はフェルト底の沢靴を履いていたが、客は運動靴とアユ釣り用?の指先が二つに割れたフェルト底の足袋の人と半々だった。

ツアー客の沢くつ(写真は拡大できます)。

 

 四ノ滝

四ノ沢に7:16、ここは南北から2本の沢が合流して十字形をしているので高巻き道が無く、ルート最大の難所だ。(この写真は下山日のものです)

 

 

 

 

四ノ滝:ロープ固定用の安全環 壁際に用意されている徒渉用の杖 そのすぐ横の数か所の岩にはリング付きボルトが打ち込まれ、岩壁には渡渉時に身体を支える2mほど角材が数本立てかけてある。これらの備えを見ると、増水時にはどれほど危険な渡渉になるか推測に難くない。

 

 

 

山荘の管理人さんと一緒に歩いた 小屋の管理人さんは今日が交代日だそうで、一緒に遡行することになったのが心強かった。林道を自動車で走っているとヒグマと遭遇する話や増水時の徒渉の話なども聴かせてもらった。

 取水口から四ノ沢間の渡渉は6回、その内の2回が膝上。四ノ沢から小屋の間は渡渉が20回、その内の4回が膝上だった。今回の膝上地点は通常は腰のラインを超えるそうだ。

増水時には四ノ沢より上部の方が川幅が狭い為に、水深も深く、流速も増すことが予想されるので、より困難な沢歩きになるだろう。 取水口から四ノ沢までが40分、 四ノ沢から小屋までが50分だった。

今日のような水量の時は高巻き道を通らずに川の中を遡行できるので早く到着できた。

 



山荘着 8:04、沢からエゾ松の林に一段上がると小屋が見える。

 
林の中に幌尻山荘が見える 私と前後して小屋に到着した地元の若者達は地下足袋のまま登山に出て行ったが、私は登山靴に履き替えて幌尻岳に向かう。

幌尻岳はの登山口 登山口は小屋のすぐ右手で、視界の無い林の中の尾根を登る。

 

「命の水」への表示 数本の白樺の老木が尾根に現れると、小さな広場を左に入ると命の水である。ルートから左に5分歩くと岩壁を清水がしたたっている。

 

カールの稜線沿いに山頂を目指す 10:45カール上の稜線に出ると半円を描く稜線の向こうに幌尻岳山頂が見え、新冠分岐を過ぎるとすぐに山頂である。

 


幌尻岳の三角点  幌尻岳 全く無人の山頂に到着。12:20

ガスの晴れ間から、戸鳶別岳(とったべつたけ)方向の尾根を歩いている若者達と東カールが見える。

山荘帰着15:20

小屋の定員は45人、一階は13~4人で他の人は二階になる。
古毛布が一枚づつ配られて、これを縦に折った幅が一人のスペースである。また、上に掛ける毛布は別途お金を出せば借りることができる。

 

山小屋の前庭のにぎわい 

 

小屋の中は狭いのでザックは床下の物入れにしまい、炊飯と食事は屋外でする。雨の日は屋内でするそうだが、この狭さでは大変な作業になるだろう。

 


翌朝5:52、小雨が降り出したので増水を心配して早立ちする。四ノ沢が6:43、取水口は7:41、駐車場のゲート着は9:50だった。
登山装備を整理して、ゲートを出発したのは11:00、二風谷のライダーハウスに着いたのは16:20だった。距離は53.5㎞。登りは7時間を要したが下りは5時間20分。やっぱり、下りは楽だ!! 

 
 地元の人は沢歩きも登山もスパッツと合体した地下足袋だけで済ませて、軽装備の日帰り登山をするようだ。


ライダーハウスの夜は更けて

平取のライダーハウス 北海道には食堂などが併設する“ライダーハウス”がある。食堂で食事をすれば無料で泊まれるシステムで、ライダーハウスによっては古毛布を置いるところもあるが完全素泊まりが基本型だ。ここのライダーハウスでは、トイレは国道の信号を渡ったアイヌ文化博物館横の公衆トイレに行った。

 

二風谷のライダーハウスに、この夜から2泊、お世話になる。幌尻岳に向かう途中でおにぎりを頼んだ食堂である。あの時のおにぎりの大きさから女主人の気風の良さを見込んでお世話になることにした。 

 

女主人と泊り客と私 左からライダーハウスの同宿の若者と私と女主人である。若者はアイヌの弦楽器トッコクの製作を近所のお年寄りから習いながら、木材から削り出す為に2か月も泊まっている。さすがに軍資金が乏しくなったようで、元はペンキ職人の腕を生かしてライダーハウスのペンキ塗りで食費を浮かしているそうだ。

 

名織手として有名な女主人を紹介した本 二風谷は古くからアイヌの人達の集落で、食堂の女主人は木の皮をほぐした繊維で織るアイヌ伝承のオヒョウ織の有名な技術者でもある。一年の半分ほどは全国に公演やら実演に引っ張りだこだそうだ。さすがに、その道の第一人者だけに実に有意義なお話を聴けたのは幸運だった。

 

郷土色豊かな食堂のメニュー 食堂のメニュー 食堂の壁に貼られたメニューだが、初めて目にするものも多いかった。

 

おまかせ朝食:盛りだくさん:美味しかった これは翌朝の「おまかせ」の朝食だが、土地の山菜にアイヌ風の味付けで美味しかった。

 



夜には近所のアイヌの人達が食堂に集まって、楽しい宴会になった。酔うほどにアイヌの楽器ムックリの演奏が始まり、薄く削った竹ベラの振動を口に共鳴させたミューミューと寂しげな音が旅心に沁み入って、アイヌの人達との楽しい語らいで夜は更けた。

 

おわり

 



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北海道-7:後方羊蹄山 2004&2008

 “この山”には、羊蹄山(ようていざん)あるいは後方・羊蹄・山(しりべ・し・やま)と二通りの表記がある。


中山峠 

                                                                 [中山峠からの羊蹄山]



2004年に初めて羊蹄山登山に向かうまでは、偶蹄類に属する羊の蹄は二個に割れて対になっているところから、隣り合わせのニセコアンヌプリとの一対を表したものと解釈していた。しかし、旅に先立ち深田久弥著「日本百名山」を開いて初めて、後方羊蹄山という山名は飛鳥時代に大和朝廷の役所が置かれた後方羊蹄(しりべし)に由来すると知った。

その仔細については同著をご一読していただくとして、深田氏いわく「私は山の名前は昔からのものを尊重したいのであって、便宜的な略名を好まない」との意見に私は納得していた。 

 
ところが、他の資料では、「その読み方が難しいとの地元からの要望を受けて昭和44年11月発行の地形図から羊蹄山と書き換えられた」とある。

古名では“羊蹄”の二文字で “し” と読み、意味はギシギシという植物のことである。現在の正式山名の羊蹄山とだけ記述すると“ギシギシ山”と味の無い山名になってしまうし、また全く山名に意味を見い出せないのは残念だ。まだしも、羊のヒヅメに由来するとの私の愚説の方が面白かったかも知れないと、思ったりする。

私は2004年の北海道登山旅行でも羊蹄山に登ったが、蝦夷富士の名に恥じない端整な姿と独立峰ならではの、見晴らしの良さに曳かれて再訪となった。


これは2004年と2008年の旅を記録です。





羊蹄山南麓へ[2004年10月14~16日] 

2004年 北海道 全周地図   

2004年の北海道旅行ではトムラウシを皮切に利尻岳、羅臼岳などに登りながら77 日間で北海道をほぼ一周した。

 


黄金海岸 羊蹄山に向かう前々日の13日には黄金海岸を越え、強風の襟裳岬を通過して119㎞を走破した。


千歳青葉公園 14日も132㎞を走って支笏湖公園自転車道の起点の千歳に着いた。


15日の朝は快晴で冷え込んだので、陽が射すのを待って7:30分に出発したと旅の手帳に記録している。道は支笏湖から流れる千歳川に沿った遊歩道で深い林の中を走っている。支笏湖畔からは一般国道で湖を半周して林間の道を抜けると、草原の広がる道の駅「230ルスツ」に着く。


230ルスツからの羊蹄山

 ここで初めて見た羊蹄山は見事なコニーデ型だった。この夜は道の駅230ルスツにテントを張った。 

初めて見た羊蹄山の端正な姿の印象は強烈だった。この姿に引かれて2008年も羊蹄山に登ることになった。自転車で100名山の旅の中で二度の登山をしたのは羊蹄山だけである。

   


羊蹄山に登る [2004年10月16~17日]




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  羊蹄山自然公園真狩 
16日
やっと南麓の羊蹄山自然公園真狩(まっかり)に着いて入園料500円を払い、テントを張ってから2㎞ほど先のまっかり温泉に行く。帯広以来1週間ぶりの入湯で、冷えた身体を温めて明日の登山に備える。


17日は6:00に出発する。
公園の舗装道を15分ほど歩き、突き当りの広場から左に折れて山道に入る。


羊蹄山白樺の純林 一帯は針葉樹の植林だが、小一時間で3合目辺りまで来ると広葉樹林になって、奥行き100mほどのバンド状の一帯だけに白樺の若木が密生している。すでに葉を振り落とした冬枯れの林に太陽が射し込んで白樺の肌が眩しかった。  


1400mを過ぎると勾配は急になって小さな切り返しが連続する。


羊蹄山避難小屋 1600mで涸れた沢を渡ると避難小屋への分岐に着くが、小屋は登山道からガレ場を通って250mほど北に入ったハイマツ帯に在るのでガスの濃い時は見失う恐れがありそうだ。  


羊蹄山霧氷の火口 

 稜線が近くなると一帯の木々には樹氷が付いて冬景色になり、標高1800mでお釜の縁に出る。


羊蹄山霧氷の山頂部 一番大きい釜は荒々しい父釜、次に優美な母釜、それら二つに挟まれるように小さな子釜がある。山頂は父釜を半周した東側に在るので、大小様々な溶岩を乗り越えたり間をすり抜けたりしながらも、強風にバランスをとりつつ半周する。   


羊蹄山霧氷の山頂 この時期の山頂に人の気配は無く、寒さに震えながら短い休憩をとって早々と下山する。

6:00出発で、下山は15:30。短い冬の陽は傾いて一段と寒さが沸き立つ時刻だった。



二度目の羊蹄山 [2008年9月10~11日]


中山峠 2008年は羊蹄山へのアプローチに西側の半月湖野営場を選んだので、札幌から標高 831mの中山峠を越えて北側から西に回り込むルートをとった。

  

半月湖 国道5号からは畑の中を東に1.5km緩やかに登ると、左側に半月湖駐車場が在る。きれいなトイレと芝生に引かれて今夜はここにテントを張ると決め、先ずは半月湖まで散歩する。  半月湖は羊蹄山の寄生火山の火口に水が溜まった湖で、駐車場の奥から歩道を登ると火口上の道と出会う。水際までは30m下ることになるが、木の葉越しに見える水面は指し渡し300mほどの三日月型をしていた。  


半月湖天場 11日、半月湖の駐車場から野営場までは急坂が続く。

早朝の出発を期して暗い中、野営場まで自転車を押し上げる。


半月湖天場 野営場の標高は345mで水洗便所と蛇口が付いた洗い台があり、


半月湖天場 他にコンクリート造りの東屋風の休憩舎も在る。テントを張るには、この野営場の方が良かった。  



自転車を置いて5:00に登山道に入る。

羊蹄山登山道登山道はカラマツ林に真っ直ぐ伸びて緩やかに登るが、

 

羊蹄山二合  標高500mから突然の急登で130m登ると二合目の標識と輪切りにした丸太のベンチが有る

 

 羊蹄山五合 五合目の標高は1035mで野営場から1時間50分掛かったが、ここまで来ると,低くなったダケカンバの上にニセコアンヌプリのスキー場一帯が見渡せる。

 

羊蹄山六合 羊蹄山六合 標識は赤色のプラスチックシートを切り抜いた文字を白塗の金属板に貼り合わせた作りだが、それらは「羊蹄山登山リレーマラソン大会」が盛んだった頃の遺品である。今はソ連邦崩壊の余波で、山麓に在った自衛隊が縮小された為にマラソン大会も無くなったそうだ。

 

この後は常時ニセコの風景を楽しみながら登れるので退屈することも無かった。  「日本百名山」によると深田氏は9月2日に登ったが、途中からは霧に視界を奪われた中を「一途な急坂で・・・・体操訓練の一種」のような面白くない登山だったようだ。氏は斜里岳でも阿寒岳でも霧が晴れるのを1~2時間待ったと書いているように、辛抱強い登山スタイルと思っていたが、後志羊蹄山の記述に深田氏の違った一面を見た思いがする。

 

羊蹄山九合 幸いにも、私は終始見晴らしにも恵まれた為か決して一途な急坂との印象は無かった。

羊蹄山は成層火山の特徴で、裾野はゆるく、上部ほどきつくなる。山の傾斜は七合目、八合目と勾配を増すが、登山道は丁寧な折り返しを重ねるので決して急登とは思わない。

 

羊蹄山八合 八合目を過ぎて道が右に折れると、

 

羊蹄山九合 距離にして100mほどの間、一抱え程の岩がゴロゴロしたところに出る。このルートで唯一のロープが有るが、頼る必要は全く無い。  

 

羊蹄山九合 避難小屋への分岐がある九合目である。

 

羊蹄山北山 ルートが左に巻いて、勾配が一段とゆるくなると北山との間を通って母釜の火口に出る。野営場から約4時間である。

羊蹄山火口 山頂部には南側から父釜、子釜、母釜の3つの火口が連なっていて、

 

羊蹄山中央火道 

 父釜と母釜の間に抱かれた子釜の縁を渡るように“火口中央道”がある。 

羊蹄山父釜 羊蹄山母釜 父釜の火口壁の荒々しさに比べると母釜の火口一帯は砂礫に覆われて、いかにも“母”と名付けるにふさわしい穏やかさがある。  

母釜の火口を時計回りに15分進むと火口中央道との合流点に着く。ここからは溶岩を跨ぐようになって、火口壁の上辺から少し下を巻くようになる。


羊蹄山山頂 歩きにくい道に飽きた頃にやっと羊蹄山山頂である。  

前回の登頂は10月中旬で霧氷が付く寒さに震えたが、今回は快晴無風、暖かさに恵まれて、登山者と話をしながら30分余りを過ごした。


羊蹄山火口 山頂部の一周に約2時間を要して、野営場に帰着したのは14:20だった。

登り4時間35分、下り4時間10分である。




 


 

 

クッチャロ口 下山した夜は、見事な羊蹄山が望める倶知安の街の公園にテントを張った。

 

ニッカ工場の門 余市には洋酒メーカーの工場がある。ウイスキーの故郷スコットランドの古城を彷彿とさせる。

 

小樽運河 

旅はこの後、小樽で運河沿いを散策したり小林多喜二や石川啄木の足跡を訪ねた。小樽は明治から昭和の初頭にかけては北海道一の商港として栄え、物資流通の一大拠点となったが、その一方では労働者への搾取は激しいものが有って、自然とプロレタリア文学の拠点となっていった。 

昭和4年に発表された「蟹工船」が労働文学の一つの焦点とするならば、それに先立つ21年前、明治40年に小樽日報社の記者として赴任した石川啄木の「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」との職への期待や「かなしきは 小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ」にプロレタリア文学の息吹きを 感じた。

 

 

2004年に小樽文学館に行った時は、全く見学者が居ないような状況だったが、2008年は「蟹工船」のブームでにぎわっていた。最近は不安定な雇用関係やワーキングプアの過酷な労働環境から、正規雇用者の間にも不安があって、「蟹工船」に共鳴する不幸な時代である。

 

 おわり


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自転車で100名山

Author:自転車で100名山
10年計画で自転車だけで100名山を完登した記録。登山旅は旅程そのものがドラマだ! 定年からの100名山は自転車の旅で楽しもう! 
トムラウシへの道には車輪よりも大きなフキが群れている。

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