自転車で100名山 ことはじめ
自転車で100名山 ことはじめ
大阪このはな山の会 圓尾勝彦
日本100名山の完登を目指す中高年者登山者は多い。高山の花や鳥の観察などのテーマを持って名山登山を続ける人もあるが、その多くは最短時間で山頂に立てる登山口へ自家用車で乗りつけ、山頂に立った自分の「証拠写真を撮ること」を最大の目的にしているように見える。
日本100名山は、北は利尻島から南の屋久島まで日本全土に分布しているので、自転車で100名山を巡ると日本全国を回ることが出来る。
折角の日本漫遊の機会を点から点へ移動する ピークハントだけでは余りにもったいない。
そこで私は高校時代から50年近く続けた山歩きのフィナーレとしての100名山登山と同時に、万葉集から和歌集、そして近代詩歌へと繋がる歌枕の地を訪ねることも旅の楽しみに加えた。
■歌枕の地を訪ねて
仙台市の東10km に百人一首の「我が恋は しほいに見えぬ 沖の石の 人こそしらね かはく間もなし」、
「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは」と読まれた歌枕の地が在る。
万葉の昔には「本の松山」、「中の松山」、「末の松山」が在ったと云われるが、今は住宅と宝国寺の墓地に挟まれて、二本の黒松の大木が「末の松山」の場所を示すだけだ。
松の根元から100m ほど、とろとろと坂を下ると直径20m余りのフェンスに囲まれ、道路より2m余り掘り下げられた池の中に一群れの形の良い庭石のように見える「沖の石」が在る。「沖の石」の際に立って眼を閉じると、たちまち周囲の住宅地は波の打ち寄せる磯辺に変わり、磯より続く「末の松山」を渡る潮風の音さえ聴こえてくる。自分の眼で現在の名所旧跡を眺めるだけではなく、先賢の目を借りれば歳月の向こうに今は幻となった旧跡も生き生きと眼前に蘇がえってくる。このような歌枕の功徳にあやかれるのも旅の楽しみである。
多くの歌人が憧れを持って訪れた白河の関や芭蕉が奥の細道の途中に逗留して俳諧を興行した羽黒山神社なども訪れた。
時代は少し下るが、奥州戦争の戦跡や柴五郎著「ある明治人の記録」を辿って会津や下北半島にも自転車を走らせた。
■旅の相棒は自転車
私は「旅」と「旅行」の間には大きな隔たりがあると思っている。現在では旅は「旅行」という言葉に変わって、決められた時間に従って点から点へ移動する手段という一面だけが重宝されている。旅は「遠さを味わう」ことと言い表した哲学者があるが、奥の細道に旅立つ芭蕉が「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」と見送りの人々と共に別れに涙したような情景は今は無い。現在の新幹線や自動車を使う旅行では「遠さ」への畏怖は失われている。
しかし四国遍路を歩くと、室戸岬に立って足摺岬へと伸びる長大な海岸線を見た時には自分の一歩の小さとの対比から「遠さ」への恐怖すら覚える。現在人も自分の足で歩く限り、昔の旅人と同じ旅感覚を共有することができる。私は「旅」は、非日常に身を置いて「漂う」ことと思っている。私は一週間、二週間の縦走山行を「漂う」楽しさ故に「山旅」と言い表すことにしているのもまた同じ意味である。
自転車の速度は時速10km程度であるが、ゆっくり走ると4km程で徒歩と同じような速度になる。これぐらいの速度では景色を楽しみながら走れるので、自転車は「旅」を味わせてくれる最高のアイテムと思っている。
走る道が上り坂であれば肺が破れるほど必死に漕ぐし、下り坂なら薫風快走、10㎞、20kmは瞬く間である。一漕ぎ一漕ぎが苦くても快走でも、どちらにしても自転車は「旅」を満足させてくれるし、山から山へのアプローチそのものを最高のドラマに仕立ててくれる。
■北海道と東北自転車の旅
北海道を自転車で走るのは爽快だ。宗谷岬に着いたのは9月中旬だった。本州ではまだ真夏日が続く頃だろうに、ここでは既に秋風が吹いていた。
しかしヒグマには要注意である。トムラウシ山に登った後、富良野に向かう県道に牛糞かと見間違う程の大きなフンが落ちていた。それには妙に紫色の種子が多く混ざっている。この話をキャンプ場の従業員にすると「自転車では逃げ切れないから、早朝や日暮れ後は走らないで」と軽く言われるほどヒグマはちょっとした幹線道路にも出るし、
町中のゲートボール場にも「ヒグマ注意」の看板が貼ってある。ヒグマと遭遇した時に自動車と違って自転車では逃げ込めないので入念な聞き込みが必要だ。
北海道を旅するチャリダー(自転車乗り)は峠の大きさを嘆く者が多い。しかし、峠が大きいということは勾配が緩いということもできる。それに比べると東北の峠道は尋常な坂ではない。特に月山々麓の旧国道112や米沢から西吾妻山に登る白布峠越えの県道はきつかった。
さて、今年の中部山岳の登山ツーリングにはどんな急坂が待っているのだろうか。自転車乗りの間で「一番しんどい登り」といわれるのは富士山クライムだ。富士山スカイラインの新五合目は標高2392m、富士川河口の太平洋から正真正銘の日本一の標高差のクライムになる。
おわり
この記事は「登山時報」2006年10月号に掲載されたものを加筆訂正したものです。