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2006年 越後の旅

自転車で日本100名山 その2
 

大阪・この花山の会 圓尾勝彦



十代から楽しんできた山歩きも50年が過ぎて、山の修学旅行”を考える歳になった。

 

そこで、10年計画で日本100名山を自転車でめぐる旅を思い立ち、2004年の北海道を皮切りに年々南下を続け2008年で中部地方に達した。1年間に10座に登ることが目標だが、この5年間で60座に登れたのでほぼ予定通りといえる。。

中部~北海道登山地図 

今回は2006年9月から10月に掛けて、那須岳から尾瀬、越後三山、浅間山など11座に登った山旅と、数箇所の史跡を訪ねたツーリングを報告。




枝折峠を目指して 

梅雨が明けると好天が続くようになって登山の絶好期になるが、自転車旅行にとっては必ずしもベストシーズンとはいえない。

真夏の自転車旅行は灼熱との戦いになるので、2時に起きて早朝4時から走り始めるが朝日を受けた瞬間に全身から汗が噴き出る。ガソリンスタンドでもらって水を頭から被っても30分も走ると乾いてしまい、体温の上昇から疲労が激しく1日に70~80kmを走るのが精一杯である。

例えば、大阪―東京間の700kmは涼しい晩秋なら6~7日間で走れるが真夏には10日も掛かる。このような状況から、気温に関しては9月中旬から11月上旬がツーリングの好期だが、一方では秋雨前線に執拗に纏わり付かれることになる。

 

2006年の旅も、熱暑のピークが過ぎ秋雨前線が北上した間隙を突いて9月1日に大阪を出発し、東京でタイヤの交換と整備に2日間を費やし、9月12日に東京を出発した。72kmを走って茨城県古河市の公園にテントを張ったが、夜中から降り出した雨は夜が明けても、昼を過ぎても降り続き、今回も自転車旅行の宿命といえる雨宿りの連泊から旅は始まった。

重装備の自転車で雨の中を走るとブレーキの効きが悪くて危険なので、3日間でも4日間でも雨宿りをする。この年の旅行でも全48日の内の12日は雨宿り、24日は自転車で走り、山登は12日だけだった。この効率の悪さが自転車旅行の弱点だが、年寄りは無理をしなさんな、と神さんのアドバイスだと受け取っている。

那須高原   那須温泉神社 那須茶臼岳  那須殺生石 

那須山に登った後は那須野を北上して白河市の阿武隈川にテントを張った。

塔のへつり  

白河から北西に26kmの真名子峠(中央分水嶺)を越えると奥会津だが、

桧枝岐  

会津駒ケ岳登山口の桧枝岐村までは幾つも峠があるので2日間を要した。

自転車旅行で最も難しいことは風呂に入ることである

自動車やバイク人は5km や10kmも離れた温泉まで足を伸ばすが、自転車ツーリストにとっては1時間も走って温泉に行くなど考えられない。せっかく汗を流しても元の木阿弥でテント場に帰った時は汗まみれになっている。それに温泉に入ると気分と身体が緩んでしまって全く自転車を漕げなくなる ので、テントを張る予定場所のすぐ近くにないと入湯はできない。

 

 会津駒小屋 会津駒山頂

往復6時間半の会津駒ケ岳登山を終えて桧枝岐村に下ると日帰り温泉の駒の湯があるが、温泉に入らず食料だけを買い足して尾瀬の北玄関・御池に向かった。御池までの平均斜度は7.7%もあって、暗闇の中でクマに脅えながら必死に漕いだ。もしも桧枝岐で温泉に入っていたら急坂の途中で討死していただろう。
 

 

尾瀬原  燧ヶ岳  尾瀬至仏山

尾瀬では2泊して燧ヶ岳と至仏山に登り、

 

平が岳卵石  平が岳山頂部

平が岳を下ってから

枝折峠 

三日目に着いた枝折峠は果てし無く続く奥只見の山々を見渡せる、いかにも山深く、よくぞここまで辿り着いた、と感激を味わえる峠である。標高は1035mで豪雪と風害の為に峠に大木は無く荒涼としている。



大きな地図で見る

 

ここは国道352号の枝折峠であるが、 

会津駒枝折 

この趣のある名前は越後駒ケ岳登山道に30分程入った旧道の峠に祀られた枝折大明神に由来する。

越後駒  越後駒山頂

翌朝は快晴に恵まれて越後駒ケ岳山頂に立つことができた。



史跡ツーリング  

引き続いて旧蹟巡りのツーリングを楽しんだ。

鼠ヶ関  鼠ヶ関の松(鼠が松)

新潟と山形の県境の鼠ヶ関は「鼠ヶ関をこゆれば越後の地にあゆみを改めて・・・」と奥の細道にあるように羽前国と越後国の国境である。

奈良朝の関所は奥州三関に数えられ、急な山が海に迫り国境を守るに適した要所に在ったが、今は国境から1kmほど北に行った港の脇に江戸時代の関所が復元されている。



 

佐渡汽船 

続いて、佐渡島に

佐渡黒木御所  

順徳上皇の黒木御所跡と

 


大きな地図で見る

佐渡真野火葬墓

真野に在る火葬塚を訪ねた。

「ももしきや 古き軒端のしのぶにも なほ余りある 昔なりけり」  は勢力を増す鎌倉幕府との確執が高まる中、天皇家の隆盛だった時代を想って順徳天皇19歳の御製歌である。承久の乱で父帝後鳥羽上皇と共に倒幕に立ったが破れ、佐渡島に配流されて在島22年、食を断って45歳で崩御された。歌を良くされた順徳上皇を慰める為に御所跡に歌を供える者も数多く、

鉄幹碑  

その中に「今こそ 歌の帝のいきどほり 佐渡の島根の波と荒るるか」と与謝野鉄幹の歌もあった。
 

 

出雲崎  

新潟市に戻ってから海岸沿いを南下して、芭蕉が銀河の序を著した出雲崎に向かった。佐渡に遠流にされた多くの歴史上の人物、なかでも順徳上皇の身の上を想って詠んだのが「荒海や佐渡によこたふ天の川」である。この句は単なる情景描写では無く、失望の内に島で亡くなった貴人の頭上に、せめて銀河の輝きを供養にしたかったのだろうと私は思った。私も芭蕉にならい上皇を想いながら、佐渡島に懸かる天の川を待ったが、時刻と共に雲は厚さを増して月さえも隠してしまった。



日本海沿いの出雲崎を離れて東に山を越えて、北越戦争の史跡を訪ねて長岡市に向かった。

長岡の街角にある米百俵の記念碑 

長岡は、小泉純一郎元首相が国会で米百俵の精神」を取り上げらたので知られたが、私にとっては「河合継之助」によるところが大きく、 司馬遼太郎著「峠」の土地である。

JR長岡駅 

長岡城は数度の争奪戦の舞台になって、今はその面影の片鱗も無く、JR長岡駅に変わっている。

激戦地の一つ八丁沖  

長岡の北の郊外に八丁沖を訪ねた。北越戦争の激戦地の一つである。内陸の長岡に八丁の字は似つかわしくないが、当時は長岡城の北方一帯は信濃川が造った氾濫原だったと言えばの字の意味も理解できる。

河合継之助の墓所 

河合継之助の墓所にもお参りした。一国の宰相の墓とは思えない質素なものだった。敗戦後に置かれた立場の難しさがこの様な墓を作らせたのだろう。



志賀高原を越えて

  

巻機山 

旅の後半は、巻機山から苗場山、志賀高原を越える山旅である。
天気予報ではこれから数日間は秋雨前線の影響で雨続きになるようだ。先ずは雨停滞を覚悟して、停滞の食料と巻機山に登る食料を買い込んでスーパーマーケットを出てくると雨は既に降り始めていた。これから先に数日間の雨停滞を過ごすとなると、雨を防げる屋根と水道とトイレの三点セットは是非とも欲しいところである。三点セットの揃った公園を探しながら巻機山に向ったが、無い時には無いもので、町角に小公園はあるが三要素の一つとて無くて、とてもテントでの停滞は無理だった。
雨は降るは、日暮れは迫るは、いよいよ困りはてた時に巻機山麓の蟹沢集落の神社の広場の街灯が暖かく輝いていた。雨宿りが出来る屋根は無いが水道と街灯がありがたいので、このお宮さんの広場で雨宿りをさせてもらうことにした。先ずはご近所に挨拶に伺うのが旅人のルールと言うものだ。
結局、この集落には4日間のお世話になった。ご近所のお宅からカレーライスや果物などの差し入れを頂いた。
しかし、雨宿りの庇も無くて、一人用テントの中だけでの生活、座って半畳、寝て一畳に耐え天候の回復を待った。今までで一番しんどい雨停滞だった。ここは「忍耐力」というよりは「鈍感力」の
お陰で快晴の巻機山に登れた。 


苗場山  

続いて苗場山麓の小赤沢から一車線の国道を突き進むと橋の手前でその道も終わる。

 

雑魚川林道  

この先は奥志賀まで続く雑魚川林道である。初めの5kmほどで全高低差の殆どを登ってしまうので、初めさえ頑張れば後は気持ちよく走れる。


志賀高原  

奥志賀から熊ノ湯に来ると、いよいよ自転車での体力勝負が始まる。スキーでは熊の湯から横手山・渋峠まではリフトを3本乗り継ぐが、最初の1本は極めて緩い勾配である。

志賀高原のぞき  

その先入観から気楽に登り始めると、8%の登り勾配が延々と続く。8%といえば国道では追い越し車線が設けられる勾配で、自転車で登るには限界に近い。

 

志賀高原渋峠  

それでも7.7km、高低差450mをちょうど2時間で登り切った。
 

 

志賀高原国道最高点 

国道の最高点、標高2172mの地点は渋峠から草津側に700m行ったところに在る。私にとっても自転車での最高到達点である。

ここまで登れる体力が有るということは、自転車乗りの間で“一番しんどい登り”といわれる富士山新五合目へのチャレンジも夢で無いかも知れない。太平洋の海抜0mから正真正銘の高度差2376mの一気登りとはどのようなものか是非挑戦したい。

 

小諸懐古園  小諸虚子庵  

小諸で文学探訪を楽しんでから、

 

浅間車坂峠  浅間黒班山から  浅間山頂の日の出 

浅間山の車坂峠まで標高差1300mを登ったのを良い思い出にして旅は無事に終わった。

 このレポートが皆さんのお目に付く頃には、自転車用ヘルメット姿で南アルプスを歩いていることでしょう。是非、何処かの頂きでお目に掛かりましょう。


おわり

本稿は日本勤労者山岳連盟機関紙「登山時報」2009年10月号掲載のレポートに加筆したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ジャンル : 旅行

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自転車で100名山

Author:自転車で100名山
10年計画で自転車だけで100名山を完登した記録。登山旅は旅程そのものがドラマだ! 定年からの100名山は自転車の旅で楽しもう! 
トムラウシへの道には車輪よりも大きなフキが群れている。

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