北海道-1 トムラウシ岳
2年後に定年が迫った時、山行生活の最終章として自転車で日本100名山をめぐる決心をした。若い時には自転車でツーリングを楽しんだが、自動車生活に負けてから久しい。さっそく長距離ツーリング用の自転車を買って、トレーニングの為に自転車通勤に変えた。
“定年になれば、イの一番に”と心に決めていた四国遍路に、まず旅立った。4月25日、山で亡くした仲間の菩提を祈って第一番札所霊山寺の山門を後にした。
八十八寺と番外二十ヶ寺に詣で、おおよそ1600kmを歩き通した46日目の6月11日再び霊山寺に還り打ちが叶った。続けて、小松島から和歌山へ渡り、紀ノ川沿いを遡り13日に高野山奥の院にお礼参りをした。これで心置きなく自転車旅行に行く気持ちになれたので、まずは100名山の中の9座がある北海道を巡ることにした。
[2004年8月7日]苫小牧行のフェリーが出る敦賀港に向けて出発。
12月まで帰らないので冬服も詰め込んで37kg、真夏の国道はまさに“酷道”。ペットボトルの水を頭から被りながら北上する。第一夜は琵琶湖の花火大会を見物しながら今津の湖畔公園泊まり。
[8日]深夜、フェリーに乗り込む。
夏休みだけに超満員だが自転車ツーリストは私一人。
[9日]夜遅く苫小牧港に着く。北海道での第一夜はフェリーターミナルの隅にテントを張る。
[10日]晴れ、気温28℃。なんとも清々しい。
チャリダー天国の北海道でも年配チャリダーは珍しいのか休憩で止まる度に地元の中高年から声が掛かかり、ついつい話し込む。
その上、北海道の第一日目からハプニングである。大阪を出る時に知っていたが、現地に行けば何とかなるだろうとタカを括ってきた事が・・・。幌尻岳の状況を地元の営林署に確認すると、進入路の林道が昨年の大水で崩壊したので入山は不可能、復旧には数年掛かるとのこと。いやはや初っ端からとんだことになったが、
この夜は平取(ぴらとり)湖畔アイヌ集落跡地の公園に泊る。
2005年以降は東北以南を自転車で100名山めぐりをしたので、結局、幌尻岳登山は2008年9月になった。
[11日]幌尻岳は次回にチャレンジということにして、気を取り直して次はトムラウシである。ここ平取は日高山脈の西側の日高地方に在るが、トムラウシは日高山脈の東側の十勝地方の山奥に在る。
明日は日高山脈を標高1023mの日勝峠で越える。この時は、“1000mも上るのか・・・、ああ、しんど”と思ったが、この後も峠越えや登山口まで上るのに1000mクライムにしばしば出会うことになった。民家の灯が遠くに見える峠の途中にある廃校の庭にテントを張る。ラジオからはお盆の供え物を狙って近くの墓地にヒグマが出たとのニュースが流れた。
[12日] 日勝峠は日高地方と北海道東部の十勝地方とを結ぶ国道なのでトラックの交通量が多い。
北北海道は日本の食料基地だけあって農産物を運ぶトラックが特に多く、牛乳を入れた巨大なタンクを二連したトレーラーが猛スピードで追い越して行く。
峠を越え、新得(しんとく)町に夕刻遅く着いて公園のバーベキューハウスにテントを張る。北海道では小さな町にも良く手入れがされた公園があり、そこには地元の人がバーベキューを楽しむ為に5,6人から10人程が囲める炉を10も20も設えた東屋風のハウスが建っている。無料の上に水道もあるので、この先もおおいにお世話になった。
[13日]トムラウシは十勝岳と大雪山を結ぶ中央山地の中間にあり、
どちらにもほぼ25km、1泊2日の距離である。このコースは縦走屋にとっては垂涎の的であるけれども、自転車が有るので日帰りルートを選んだ。新得からトムラウシの登山口がある東大雪荘までは45km、十勝川に沿って上る。
「山の交流館とむら」では「東大雪荘までの道はクマが出るから自転車は気をつけて」と声を掛けられた。
「とむら」から先の20kmには自動販売機すら無く、北海道では“燃料と食料は見た時に買っておけ”と言うそうだが、なるほど、その言葉が納得できる道である。
トムラウシ自然休養林キャンプ場泊。
、
[14日] トムラウシは樹林限界が低く,行程が長い上に、真夏でも3~4℃までも簡単に下がるので万一の荒天に備えてビバーク装備は必帯である。私はツエルトの代わりにテントのフライとレスキューシートとダウンのインナーを用意した。
夏の北海道の夜明けは早い。 4時には、もう明るい。
東大雪荘横の一抱えもあるエゾ松と広葉樹の混生林の中に付けられた登山道に入る。一時間半ほどで短縮道からの道が右から合わさる。ほとんどの人は車で林道を上がって短縮道を使うので、この合流点で初めて人と出会う。
さらにエゾ松の林を一時間弱行くとカムイ天上分岐でコマドリ沢に行き当たる。“こんな沢がなぜ?”と思わせる小さな沢であるが、濁流で何度も遭難事故を起こした。
沢筋は通行止めになり尾根上の笹藪を刈り払った新道を行き、右に折れて谷に急降下した所がコマドリ沢の水場である。沢の向こう岸の草付きを緩やかに登ると展望が開けて小高い前トマムに着く。
コマクサが群れている。ここからは岩礫地帯を通過し、
ピークを越えてトムラウシ公園と名付けられた小さな窪地を渡ると双頭のトムラウシ本峰とキャンプ指定地が目の前に広がる。
もう一頑張り、最後は大岩の間を攀じ登ってトムラウシの頂上である。11時、頂上からは北に旭岳への尾根筋、南西に十勝岳が望まれる。どこまでも黒々とした北海道の森である。16時、無事に下山し、キャンプ場に連泊する。
この直線道路はたった15km、それでも1時間以上も一直線に走り続けて鹿追町の画家:神田日勝記念館に向かった。
道端には自転車の車輪よりも大きいフキが群れている。
今回の自転車で100名山の旅行では北海道内の4,496kmを走り、10月27日、ついに長万部で雪将軍に追いつかれたので函館から青森に逃げた。
自転車で100名山をめぐると日本列島の北端から南端までを旅することができる折角の機会だから、東北地方は芭蕉の「奥の細道」を片手にして奈良時代の多賀城や白河関、勿来関などを訪ねながら南下、東京からは旧東海道の旅を楽しんで、6,543kmを走って12月8日大阪に到着した。
おわり
ps.このレポートは大阪府勤労者山岳連盟の機関紙「労山ニュース」2005.3月号に掲載したものに加筆改稿したものです。
大阪労山のHPは山仲間の山行レポートのホームページにリンクしています。