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北海道-7:後方羊蹄山 2004&2008

 “この山”には、羊蹄山(ようていざん)あるいは後方・羊蹄・山(しりべ・し・やま)と二通りの表記がある。


中山峠 

                                                                 [中山峠からの羊蹄山]



2004年に初めて羊蹄山登山に向かうまでは、偶蹄類に属する羊の蹄は二個に割れて対になっているところから、隣り合わせのニセコアンヌプリとの一対を表したものと解釈していた。しかし、旅に先立ち深田久弥著「日本百名山」を開いて初めて、後方羊蹄山という山名は飛鳥時代に大和朝廷の役所が置かれた後方羊蹄(しりべし)に由来すると知った。

その仔細については同著をご一読していただくとして、深田氏いわく「私は山の名前は昔からのものを尊重したいのであって、便宜的な略名を好まない」との意見に私は納得していた。 

 
ところが、他の資料では、「その読み方が難しいとの地元からの要望を受けて昭和44年11月発行の地形図から羊蹄山と書き換えられた」とある。

古名では“羊蹄”の二文字で “し” と読み、意味はギシギシという植物のことである。現在の正式山名の羊蹄山とだけ記述すると“ギシギシ山”と味の無い山名になってしまうし、また全く山名に意味を見い出せないのは残念だ。まだしも、羊のヒヅメに由来するとの私の愚説の方が面白かったかも知れないと、思ったりする。

私は2004年の北海道登山旅行でも羊蹄山に登ったが、蝦夷富士の名に恥じない端整な姿と独立峰ならではの、見晴らしの良さに曳かれて再訪となった。


これは2004年と2008年の旅を記録です。





羊蹄山南麓へ[2004年10月14~16日] 

2004年 北海道 全周地図   

2004年の北海道旅行ではトムラウシを皮切に利尻岳、羅臼岳などに登りながら77 日間で北海道をほぼ一周した。

 


黄金海岸 羊蹄山に向かう前々日の13日には黄金海岸を越え、強風の襟裳岬を通過して119㎞を走破した。


千歳青葉公園 14日も132㎞を走って支笏湖公園自転車道の起点の千歳に着いた。


15日の朝は快晴で冷え込んだので、陽が射すのを待って7:30分に出発したと旅の手帳に記録している。道は支笏湖から流れる千歳川に沿った遊歩道で深い林の中を走っている。支笏湖畔からは一般国道で湖を半周して林間の道を抜けると、草原の広がる道の駅「230ルスツ」に着く。


230ルスツからの羊蹄山

 ここで初めて見た羊蹄山は見事なコニーデ型だった。この夜は道の駅230ルスツにテントを張った。 

初めて見た羊蹄山の端正な姿の印象は強烈だった。この姿に引かれて2008年も羊蹄山に登ることになった。自転車で100名山の旅の中で二度の登山をしたのは羊蹄山だけである。

   


羊蹄山に登る [2004年10月16~17日]




大きな地図で見る


  羊蹄山自然公園真狩 
16日
やっと南麓の羊蹄山自然公園真狩(まっかり)に着いて入園料500円を払い、テントを張ってから2㎞ほど先のまっかり温泉に行く。帯広以来1週間ぶりの入湯で、冷えた身体を温めて明日の登山に備える。


17日は6:00に出発する。
公園の舗装道を15分ほど歩き、突き当りの広場から左に折れて山道に入る。


羊蹄山白樺の純林 一帯は針葉樹の植林だが、小一時間で3合目辺りまで来ると広葉樹林になって、奥行き100mほどのバンド状の一帯だけに白樺の若木が密生している。すでに葉を振り落とした冬枯れの林に太陽が射し込んで白樺の肌が眩しかった。  


1400mを過ぎると勾配は急になって小さな切り返しが連続する。


羊蹄山避難小屋 1600mで涸れた沢を渡ると避難小屋への分岐に着くが、小屋は登山道からガレ場を通って250mほど北に入ったハイマツ帯に在るのでガスの濃い時は見失う恐れがありそうだ。  


羊蹄山霧氷の火口 

 稜線が近くなると一帯の木々には樹氷が付いて冬景色になり、標高1800mでお釜の縁に出る。


羊蹄山霧氷の山頂部 一番大きい釜は荒々しい父釜、次に優美な母釜、それら二つに挟まれるように小さな子釜がある。山頂は父釜を半周した東側に在るので、大小様々な溶岩を乗り越えたり間をすり抜けたりしながらも、強風にバランスをとりつつ半周する。   


羊蹄山霧氷の山頂 この時期の山頂に人の気配は無く、寒さに震えながら短い休憩をとって早々と下山する。

6:00出発で、下山は15:30。短い冬の陽は傾いて一段と寒さが沸き立つ時刻だった。



二度目の羊蹄山 [2008年9月10~11日]


中山峠 2008年は羊蹄山へのアプローチに西側の半月湖野営場を選んだので、札幌から標高 831mの中山峠を越えて北側から西に回り込むルートをとった。

  

半月湖 国道5号からは畑の中を東に1.5km緩やかに登ると、左側に半月湖駐車場が在る。きれいなトイレと芝生に引かれて今夜はここにテントを張ると決め、先ずは半月湖まで散歩する。  半月湖は羊蹄山の寄生火山の火口に水が溜まった湖で、駐車場の奥から歩道を登ると火口上の道と出会う。水際までは30m下ることになるが、木の葉越しに見える水面は指し渡し300mほどの三日月型をしていた。  


半月湖天場 11日、半月湖の駐車場から野営場までは急坂が続く。

早朝の出発を期して暗い中、野営場まで自転車を押し上げる。


半月湖天場 野営場の標高は345mで水洗便所と蛇口が付いた洗い台があり、


半月湖天場 他にコンクリート造りの東屋風の休憩舎も在る。テントを張るには、この野営場の方が良かった。  



自転車を置いて5:00に登山道に入る。

羊蹄山登山道登山道はカラマツ林に真っ直ぐ伸びて緩やかに登るが、

 

羊蹄山二合  標高500mから突然の急登で130m登ると二合目の標識と輪切りにした丸太のベンチが有る

 

 羊蹄山五合 五合目の標高は1035mで野営場から1時間50分掛かったが、ここまで来ると,低くなったダケカンバの上にニセコアンヌプリのスキー場一帯が見渡せる。

 

羊蹄山六合 羊蹄山六合 標識は赤色のプラスチックシートを切り抜いた文字を白塗の金属板に貼り合わせた作りだが、それらは「羊蹄山登山リレーマラソン大会」が盛んだった頃の遺品である。今はソ連邦崩壊の余波で、山麓に在った自衛隊が縮小された為にマラソン大会も無くなったそうだ。

 

この後は常時ニセコの風景を楽しみながら登れるので退屈することも無かった。  「日本百名山」によると深田氏は9月2日に登ったが、途中からは霧に視界を奪われた中を「一途な急坂で・・・・体操訓練の一種」のような面白くない登山だったようだ。氏は斜里岳でも阿寒岳でも霧が晴れるのを1~2時間待ったと書いているように、辛抱強い登山スタイルと思っていたが、後志羊蹄山の記述に深田氏の違った一面を見た思いがする。

 

羊蹄山九合 幸いにも、私は終始見晴らしにも恵まれた為か決して一途な急坂との印象は無かった。

羊蹄山は成層火山の特徴で、裾野はゆるく、上部ほどきつくなる。山の傾斜は七合目、八合目と勾配を増すが、登山道は丁寧な折り返しを重ねるので決して急登とは思わない。

 

羊蹄山八合 八合目を過ぎて道が右に折れると、

 

羊蹄山九合 距離にして100mほどの間、一抱え程の岩がゴロゴロしたところに出る。このルートで唯一のロープが有るが、頼る必要は全く無い。  

 

羊蹄山九合 避難小屋への分岐がある九合目である。

 

羊蹄山北山 ルートが左に巻いて、勾配が一段とゆるくなると北山との間を通って母釜の火口に出る。野営場から約4時間である。

羊蹄山火口 山頂部には南側から父釜、子釜、母釜の3つの火口が連なっていて、

 

羊蹄山中央火道 

 父釜と母釜の間に抱かれた子釜の縁を渡るように“火口中央道”がある。 

羊蹄山父釜 羊蹄山母釜 父釜の火口壁の荒々しさに比べると母釜の火口一帯は砂礫に覆われて、いかにも“母”と名付けるにふさわしい穏やかさがある。  

母釜の火口を時計回りに15分進むと火口中央道との合流点に着く。ここからは溶岩を跨ぐようになって、火口壁の上辺から少し下を巻くようになる。


羊蹄山山頂 歩きにくい道に飽きた頃にやっと羊蹄山山頂である。  

前回の登頂は10月中旬で霧氷が付く寒さに震えたが、今回は快晴無風、暖かさに恵まれて、登山者と話をしながら30分余りを過ごした。


羊蹄山火口 山頂部の一周に約2時間を要して、野営場に帰着したのは14:20だった。

登り4時間35分、下り4時間10分である。




 


 

 

クッチャロ口 下山した夜は、見事な羊蹄山が望める倶知安の街の公園にテントを張った。

 

ニッカ工場の門 余市には洋酒メーカーの工場がある。ウイスキーの故郷スコットランドの古城を彷彿とさせる。

 

小樽運河 

旅はこの後、小樽で運河沿いを散策したり小林多喜二や石川啄木の足跡を訪ねた。小樽は明治から昭和の初頭にかけては北海道一の商港として栄え、物資流通の一大拠点となったが、その一方では労働者への搾取は激しいものが有って、自然とプロレタリア文学の拠点となっていった。 

昭和4年に発表された「蟹工船」が労働文学の一つの焦点とするならば、それに先立つ21年前、明治40年に小樽日報社の記者として赴任した石川啄木の「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」との職への期待や「かなしきは 小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ」にプロレタリア文学の息吹きを 感じた。

 

 

2004年に小樽文学館に行った時は、全く見学者が居ないような状況だったが、2008年は「蟹工船」のブームでにぎわっていた。最近は不安定な雇用関係やワーキングプアの過酷な労働環境から、正規雇用者の間にも不安があって、「蟹工船」に共鳴する不幸な時代である。

 

 おわり


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自転車で100名山

Author:自転車で100名山
10年計画で自転車だけで100名山を完登した記録。登山旅は旅程そのものがドラマだ! 定年からの100名山は自転車の旅で楽しもう! 
トムラウシへの道には車輪よりも大きなフキが群れている。

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