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ジャパンオートルート

 

ジャパン・オートルート記

このはな山の会 圓 尾 勝 彦

         
 
 立山・一の越山荘前のテラスには、雄大な後立山連峰の姿を眺める人達がたむろしている。その中には、デーバッグを肩にした10人余りのスキーヤーが黒部湖までの豪快なダウンヒルを楽しもうとしている。一方、60L型ザックを背にした私にとっては、このダウンヒルも長い山旅のちょっとしたプロローグに過ぎない。

  2001年4月28日午前9時55分、私は一の越の雪を蹴ってジャパン・オートルートに飛び込んだ。

 







 4月28日 龍王岳の裾をかすめるように御山谷を滑降して、龍王岳と鬼岳の鞍部の下に達する。


 

 ここでシールを貼り、鞍部に登りつめて鬼岳のピークへ向かう。鬼岳の南面は荒々しい岩稜で、スキーを担いで下るのは危険なほどである。
 鞍部への登高の途中で鬼岳から東に伸びる岩の支尾根を乗り越えて、南側の鞍部に直接出る別ルートも可能である。

 次の獅子岳は岩のピークを少し下ったところからスキーを履く。

 ザラ峠の上に出ると斜度が35度、高度差300mの一枚バーンが待っている。この斜面が本日で唯一の楽しめる斜面である。峠からはシールを貼って、僅かに登り返して五色が原山荘に至りツエルトを張る。


 

室堂8:45 - 一の越9:55 - 龍王岳と鬼岳の鞍部11:43 - 獅子岳14:05 - ザラ峠14:51 - 五色が原山荘付近16:17




 4月29日  今日は薬師岳を越えて太郎平小屋まで一気に走るか、途中で一泊するかを慎重に考えなければならない。 

 



 五色から太郎平までは、強健者で12時間、足並みが揃わない場合によっては18時間を要することもあるようだ。夜明け前の5時に出発しても太郎平には夜中の10時になる。真っ暗な中、2926mの薬師岳越えや愛知大学大量遭難事件の東南尾根への迷い込み、さらに暗夜の滑降などの危険が考えられる。

 また、天気図では夕刻から風雨が予想されたこともあって太郎平までの一気駆けを避ける。昨年夏の偵察に従って、今日のテント場はスゴ乗越小屋付近の樹林帯に予定した。



 五色が原を後にする。

 気温-1℃、無風、薄曇り。テント場から鳶岳に向かってクラストした斜面が続いている。鳶岳の東側のラインが屈折している辺りを目指して、シールにクトーを付けて登高する。屈折点から南にトラバースして鳶岳の肩を巻く夏道に出る。トラバース・ルートの足元は4~500m下のヌクイ谷源頭まで一気に流れ落ちている。一発攻めてみたいところであるが、ソロゆえに自重してアイゼンに履き替える。


 下り着いた所が越中沢乗越である。数多くの動物が西側の富山の谷から東側の黒部谷へと乗り越えた足跡が残っている。熊やカモシカも小動物も黒部谷に雪融けの季節が来たのを知っているのだろう。


 登り返すと越中沢岳である。この山の南面は鬼岳の南面よりも切れ落ちて細い岩稜になっている。スキーをザックに固定して前向きの姿勢で下ろうとすると、ザックの下に出ているスキーのテールが崖に当たる。そこで、後ろ向きに下ろうとすると、こんどはスキーのトップが岩に引っかかる。無理に岩から引き離そうとすると身体が浮き上がる。僅か100 m 余りを下るのに精も魂も使い果たした。走破後に振り返っても、この部分がコースでの最も悪場だった。


 

 考えてみると、朝一番の鳶岳のトラバースでアイゼンに履き替えてから、今日はまだスキーを履いていない。スゴの頭を越えて20 m ほど下ると、ようやくスキーを履くことができる。

 

 スゴ乗越を越えて回り込むと樹林の中にスゴ乗越小屋の屋根が見える。今夜は荒れそうなので、早々とテント場を決めてツエルトを慎重に張る。天気図を描いていると雨が降り出した。

 

 今日はアップ・ダウンの激しい山岳耐久レースの様な一日であった。
 



出発5:30 - 鳶岳東側2000m地点6:05 - 越中乗越7:12 - 越中沢岳8:44- スゴの頭11:14 - スゴ乗越12:16 - スゴ乗越小屋13:55 - スゴ乗越小屋から南300m泊地14:55




 4月30日 一日中、風雨強く停滞する。



 ツエルトが風に打たれる度にツエルト中に飛沫が舞い散る。シュラフにもぐり、頭からカッパを被って一日を過ごす。うつつの中、時に枕元に雷鳥の声を聞く。

 11:30 雨は上がったが風は強く、まだ薬師はガスの中である。

 お湯で溶いたマッシュポテトを食べてシュラフに潜り込む。風の音を聞きながらまどろむ。のんびりとしたテント生活は私にとっては至福の時だ。




 5月1日 快晴。北薬師岳までは有峰湖を右下に見ながらシールで登る。


 

 北薬師から薬師岳までは2900m前後のスカイラインを行く。この付近は細かいアップ・ダウンが続く上に、東側の金作谷カールの上に張り出した雪庇の細い尾根を行くのでスキーを引きずって歩く。もし昨日、荒天の中でここに突入していたら雨と風との戦いに翻弄されたことだろう。暗夜の通過など論外である。


 薬師岳からは、北は剣、白馬から南の槍穂高、乗鞍、白山まで一望千里、このツアー中のハイライトである。ここまでたどり着けば、ゆっくりティータイムにして後は眼下の太郎平まで一気に駆け下るだけである。

 スキー靴のバックルを締めて飛び出す。ポンポンとジャンプターンをしているうちにケルン、薬師岳山荘を過ぎて、薬師峠に着く。歩けば2時間の道を25分で駆け降る。

 登り返せば太郎平小屋である。のんびりと気象通報の時間を調整しながら太郎山のピークを過ぎた樹林限界付近でツエルトを張る。

 五色が原と太郎平の区間を二日間に分けたことは、時間的にも、体力的にも、何にも増して安全上も大変賢明であった。


出発6:20 - 間岳7:16 - 北薬師岳9:11 - 薬師岳11:11 ~12:15 - 薬師峠12:40- 太郎平小屋13:35 - 神岡新道分岐 付近15:44




 5月2日 昨日のテント場を持ち上げておいたので楽に北の俣岳に着く。



 北の俣岳から中俣乗越までは赤木岳の東側の斜面をトラバースする。

 目の前の2578mピークは東側を巻いて、黒部五郎へは左側の斜面を数回切り返せば見た目よりは楽に稜線に辿り着ける。

 

 黒部五郎のカールは一面に茶色の縦縞模様が入り、まるですり鉢の底のようである。稜線を200mほど東に行くと小さい岩稜がカールに突き出て、その際は雪庇が切れてカールに滑り込める唯一のポイントを作っている。カールの上から覗き込むと、斜面は反り返っていて傾斜がどれほどあるか察しが付かない。もし転倒すると、どこまで滑落して行くかのか、ザックを投げ落として確かめたくなる様な急傾斜である。



 スキー靴のバックルを締め上げて、エイ、ヤッツとカールに躍り込む。数回のジャンプターンを決めて一番の急斜面をクリアする。後は東尾根に沿ってトラバースをしながら、カールのど真ん中に在るちょっとした小屋ほどの四角の大岩の所で西尾根沿いにコースを替え、高度を下げ過ぎないように西尾根を回り込むと黒部五郎小屋が眼下に見える。



 
 小屋の前の広場で休憩しながら、続いて登る南側の山へのルートを検討する。


 夏道は小屋の西側からとりつくようになっているし、その急傾斜にはスキーで登ったコンターが数本見えているが、私は小屋の東に伸びた踏み跡の無い緩い傾斜の尾根から登ることにした。

 2661mピークは簡単にクリアできそうに見えるが、思いの外に手強い登りだった。特に樹林限界以上の雪が不安定で、更に上部ほど傾斜がきつく体力の消耗戦となった。

 

 小屋のすぐ西側の夏道に沿ったルートは登り始めが急だが、一頑張りで緩やかな台地に上がり、後は緩くて長い登りでピークに至る。私以外の全てのシュプールがこちらを選択しているのには、これが理由なのかも知れない。

 

 三俣蓮華岳への登りは一部で雪が落ちて夏道を歩く。 

 ちょうどその頃から、笠岳がかすみ、小雪が舞いだした。三俣蓮華の頂上に着く時分には気温が10C゜余りも急降下して3C゜になり吹雪になった。



 この時間からでも双六小屋のテント場まで行ける十分な時間的余裕はあるが、今年最後の名残の雪と添い寝の一夜を送りたくて、丸山の急斜面を下った稜線近くにツエルトを張る。その夜は吹雪になって明け方までに30cmの積雪になった。


 

出発5:40 - 神岡新道分岐6:01 - 北の俣岳6:12 - 2578mピーク7:21 - 黒部五郎岳8:45~9:15 - 黒部五郎小屋 9:46 - 黒部乗越 11:47 - 三俣蓮華岳13:14 - 中道ルート分岐付近13:44




 

 

 5月3日 午前中、風雪強く停滞。昼を過ぎてから重い春の雪を払ってツエルトを畳む。

 


 出発の頃からガスが深くなったので、中道ルートを避けて双六岳のピークを踏むルートで小屋に向かう。

 GPSをこのツアーで初めて使用した。地形図に経緯度線を引き、ポイントの経緯度を読みとって入力する。稜線上や樹林限界以上ではほぼ10mの精度で目的地に到達できる。双六岳付近から小屋まではホワイト・アウトに近い状況であったが、GPS の指示を読みとることでルートを外すことなく無事に双六小屋に到着した。6日ぶりに畳に寝る。


 
 今日の夕刻には労山スキーのメンバーが新穂高から双六に上がって来ることになっているが、無線機への反応が無く遅れが心配される。鏡平には何張りかのテントが有ったと、新穂高から上がって来た同宿者に聞く。


 

出発12:43 - 中道ルート分岐12:49 - 双六岳13:34 - 双六 小屋14:48




 

 

 5月4日 昨日の滑走中に、ストックが雪面を打ち抜いて、ハイ松にストックのリングを取られて失った。

 


 そこで、ハイ松の20cmほどの枝先を数本束ねてストックのリング代わり縛り付けた。これで、どうにか滑走に不自由は無い。



 鏡平から登ってくるメンバーを待ちかねて早々に小屋をでる。

 呼べど答えぬ無線機から懐かしい仲間の声が聞こえたのは弓折れ岳の上であった。彼らと無事に会えた時に、私のジャパン・オートルートへのチャレンジは終わった。


双六小屋出発7:00 - 鏡平への下り分岐8:51- 鏡平で労山のメンバーと出会う9:30~:47 - わさび平小屋10:40-新穂高温泉11:40。 バス13:00発・JRを乗り継いで大阪19:19着




 

 

 

 ジャパン・オートルートの旅を一人で完破するには、スキー技術、アイゼンワ ーク、ビバーク技術のいずれもが大事だが、特に何にも増して5泊、6泊の長丁場を乗り切れるボッカ力の養成は不可欠である。要するに春山の総合力を試されるということである。

 今回の経験から、山スキーはスキー技術に偏らず、総合的な雪山技術とボッカ力も重要な課題との認識を深めた。

 

 来期のスキーツアーに備えて、夏からボッカに汗を流したいものである。 

おわり  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Author:自転車で100名山
10年計画で自転車だけで100名山を完登した記録。登山旅は旅程そのものがドラマだ! 定年からの100名山は自転車の旅で楽しもう! 
トムラウシへの道には車輪よりも大きなフキが群れている。

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